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庭田嗣子 にわた つぐこ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

庭田嗣子 にわた-つぐこ

1820-1867 江戸時代後期の女官。
文政3年生まれ。権(ごんの)大納言庭田重能(しげよし)の娘。仁孝(にんこう)天皇,孝明天皇の宮中につかえる。万延元年和宮(かずのみや)(静寛院宮)の将軍徳川家茂(いえもち)への降嫁がきまると,御付きを命じられて江戸にいき,京方女房として宮につかえた。慶応3年11月19日死去。48歳。日記に「静寛院宮御側日記」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

庭田嗣子

没年:慶応3.11.9(1867.12.4)
生年:文政3(1820)
幕末の女官。庭田重能の娘。仁孝天皇の後宮に出仕し,典侍となる。孝明天皇践祚後も宮中にとどまり,女官の指導を行う。和宮降嫁が治定すると,和宮付きを命じられて江戸へ下向し,和宮の輔導に当たった。<著作>『庭田嗣子日記』『静寛院宮御側日記』

(久保貴子)

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世界大百科事典内の庭田嗣子の言及

【庭田家】より

…宇多天皇の皇子敦実親王の三男,左大臣源雅信の10世権中納言経資を祖とする。経資の孫重資の後は庭田と田向の2流に分かれ,重資の女資子は崇光天皇に近侍して栄仁親王(伏見宮初代)を生み,また重資の男経有の女幸子は栄仁親王の王子貞成親王(後崇光院)の室となり,彦仁王(後花園天皇)を生むなど,皇室および伏見宮と深い関係があった。庭田家の公家としての家格は羽林家で,権大納言を極官とした。江戸時代は350石を給せられ,神楽の家として朝廷に仕えた。…

※「庭田嗣子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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