日本歴史地名大系 「廿八日町」の解説 廿八日町にじゆうはちにちまち 青森県:八戸市八戸城下廿八日町[現在地名]八戸市柏崎(かしわざき)一丁目の一部八戸城下の北東、表町通沿いに位置する町人町。東は塩(しお)町、西は十八日(じゆうはちにち)町、北は常海(じようかい)町、南は廿一日(にじゆういちにち)町に接する。中央を南西から北東へ街路が通る。文久年間(一八六一―六四)の八戸御城下略図に廿八日町とあり、町家とされる。八日(ようか)町境の街路の南側に「火ノ見階子」があり、中央の北には地蔵堂、東端の北には町(まち)堰の排出口(通称ドド場)がみえる。「八戸藩史料」などによれば盛岡藩時代の寛永六年(一六二九)頃、新井田(にいだ)城下から町家を移してつくられた町で、八日町・十八日町とともに下(しも)町あるいは新井田町と称されたという。雑書の慶安元年(一六四八)七月一七日条に「於八戸廿八日町喧嘩仕」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by