引馬神社(読み)ひくまじんじや

日本歴史地名大系 「引馬神社」の解説

引馬神社
ひくまじんじや

[現在地名]御津町御馬

祭神須佐之男命。近世には牛頭天王と称し、明治元年(一八六八)現社名となる。社伝によると、正暦年中(九九〇―九九五)京都八坂神社の分神を勧請。建久二年(一一九一)再興。正平五年(一三五〇)今川五郎国範が庄田五町八反歩を寄付。享徳年中(一四五二―五五)細川治郎大輔政信が再興。天文元年(一五三二)今川義元の命により牧野右馬允が修理。永禄三年(一五六〇)義元の死後庄田は消滅し、天正年中(一五七三―九二)火災によって、一時社殿消失

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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