弘田琢磨(読み)ヒロタ タクマ

20世紀日本人名事典 「弘田琢磨」の解説

弘田 琢磨
ヒロタ タクマ

明治・大正期の教育家



生年
天保14年7月12日(1843年)

没年
大正9(1920)年2月12日

出生地
土佐国高岡郡押岡村(高知県須崎市)

経歴
土佐藩士を父に生まれる。早くから武道を修め、藩士の指導に努める。戊辰戦争従軍し、明治維新後は県立高知中学校(のちの追手前高校)が創立され、明治14〜18年招かれて同校教諭となり漢文を教える。郷里・押岡村(須崎市)に学校や公園を作るなど公共事業に尽力した。また同公園は郷土の人々に「弘田公園」と呼ばれる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「弘田琢磨」の解説

弘田琢磨 ひろた-たくま

1843-1920 明治-大正時代教育者
天保(てんぽう)14年7月12日生まれ。もと土佐高知藩士。戊辰(ぼしん)戦争に従軍し,維新後は高知中学で漢文をおしえる。郷里押岡村(須崎市)に学校や公園をつくるなど公共事業につくした。大正9年2月12日死去。78歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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