改訂新版 世界大百科事典 「張保皋」の意味・わかりやすい解説
張保皋 (ちょうほこう)
Chang Po-go
生没年:?-841
朝鮮,新羅の海商,地方将軍。もと名を弓福といい姓はなかったが,中国名を張保皋とし,日本には張宝高と伝わる。生れは〈海島人〉で,唐に渡り徐州の軍将となったのち,帰国して全羅道の海岸・島嶼(とうしよ)部を根拠地とし,新羅国内および唐,日本との国際交易をおこなって巨富を築き,私兵を養った。この財力と兵力とを背景に,828年興徳王により〈清海鎮大使〉の称号を認められ,黄海,東シナ海方面の海上権をにぎって在唐新羅人居留地である新羅坊にも勢力をつちかい,清海鎮は地方独立政権ともいうべき性格をおびた。8世紀末に始まる王位継承の争乱(金憲昌の乱)と地方の反乱のなかで,興徳王没後の王位争奪戦に敗れ王京(慶州)を逃れた金祐徴を庇護し,閔哀王(びんあいおう)を倒して839年神武王(祐徴)即位をたすけ,つづく文聖王に鎮海将軍とされる。だが,王の外戚の地位をねらって得られず,841年反乱を起こし,暗殺された。
執筆者:大井 剛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報