張弘範(読み)ちょうこうはん(その他表記)Zhang Hong-fan; Chang Hung-fan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「張弘範」の意味・わかりやすい解説

張弘範
ちょうこうはん
Zhang Hong-fan; Chang Hung-fan

[生]モンゴル,太宗9(1237)
[没]至元16(1279)
中国,元初の武将。定興 (河北省徐水県北東) の人。字は仲疇 (ちゅうちゅう) 。諡は献武。河北四大世侯の一人の張柔の第9子。李たんの乱討平の功で,至元1 (1264) 年順天路管民総管となった。同6年以来討宋に従事,同 13年張世傑を焦山に破って戦艦 80隻を奪い,亳 (はく) 州万戸に任じられ,翌年鎮国上将軍江東宣慰使を授けられ,同 15年崖山の戦いでは最高司令官のモンゴル漢軍都元帥となり,翌年南宋を滅ぼしたが,まもなく病没詩歌に秀で,書に『淮陽集』がある。

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