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張柔 ちょうじゅうZhang Rou; Chang Jou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張柔
ちょうじゅう
Zhang Rou; Chang Jou

[生]金,明昌1(1190)
[没]至元5(1268)
中国,およびの武将。易州定興 (河北省徐水県北東) の人。字は徳剛。中都経略使の苗道潤に見出されて定興令を授けられ,行元帥事に累進。金の興定2 (1218) 年モンゴル軍に敗れ,太祖チンギス・ハン (成吉思汗) に降伏。以来金討伐に功を立て河北東西路都元帥となり,順天 (河北省保定) を根拠地として河北四大世侯の一人と称された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうじゅう【張柔 Zhāng Róu】

1190‐1268
モンゴル帝国,元の武将。字は徳剛。易州定興(河北省)の農家の出身。金末の混乱期に一族とともに自衛し,金の部将となった。1218年(金の興定2)モンゴル軍に敗れてのちは,かえって金国平定に力を尽くし,河北東西等路都元帥から軍民万戸に任ぜられ,南宋遠征にも従った。アリクブカの乱のとき世祖フビライを助けて京師を守備し,大都の築城に貢献した。順天(河北省)を根拠地として勢力を保ち,河北の四大〈漢人世侯〉の一つに数えられた。

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