形原村(読み)かたのはらむら

日本歴史地名大系 「形原村」の解説

形原村
かたのはらむら

[現在地名]蒲郡市形原町

鹿島(かしま)村の南。南は西浦(にしうら)村。東は海に面する。「和名抄」所載の宝飯(ほい)郡形原郷の故地とされる。中世は宮内(みやうち)庄に属すという。近世初めは形原松平氏領、次いで深溝(ふこうず)形原藩領となり、また廃藩の後形原松平氏領。享保三年(一七一八)から壺井氏領、同九年以降旗本巨勢・竹本・筧三氏の知行地となって明治に至る。

享和三年(一八〇三)四月一五日、伊能忠敬が当地を測量した時には、「測量日記」に「此の村も西浦村も宮内庄と云」と書留めてある。「形原村誌」によると、明治二六年(一八九三)の漁夫の数一六六人、漁船一五九艘で、おもなる漁獲は鰯とある。浜松(はままつ)・舞坂(まいさか)(現静岡県)付近ならびに天竜(てんりゆう)川河口にかけて底引網漁を行うことを、マンゴリに行くといっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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