日本歴史地名大系 「蒲郡市」の解説 蒲郡市がまごおりし 面積:五三・八二平方キロ東北はおおむね標高四五四・五メートルの五井(ごい)山と標高三六三・四メートルの御堂(みどう)山をもって宝飯(ほい)郡音羽(おとわ)町・御津(みと)町、西は標高三五〇メートルの遠望峰(とぼね)山と標高三三一メートルの三(さん)ヶ根(ね)山で額田(ぬかた)郡幸田(こうた)町と幡豆(はず)郡幡豆町、北は標高二八〇メートルの鉢地坂(はつちざか)峠と遠望峰山を連ねる線で岡崎市と幸田町に接し、南は三河湾に面する。〔原始・古代〕縄文期の遺跡は、早期から晩期にわたる形原(かたのはら)遺跡ほか一、二ヵ所が知られるにすぎない。弥生期の遺跡は後期の形原・竹谷(たけのや)・須田(すだ)・赤日子(あかひこ)の各遺跡など一二ヵ所が知られる。古墳は今は滅失したが、大塚(おおつか)町の丸山(まるやま)古墳が五世紀代で家形埴輪などが出土。ほかに後期のもの五九基が確認されている。うち三九基は滅失。古代は全域が宝飯郡に属し、「和名抄」の形原・美養(みや)・赤孫(あかひこ)郷が含まれるとともに、東の一部は御津郷の一部であったと考えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蒲郡市」の意味・わかりやすい解説 蒲郡〔市〕がまごおり 愛知県南部,渥美湾北岸の市。 1954年三谷町,蒲郡町,塩津村が合体して市制。 1955年大塚村の一部,1962年形原町,1963年西浦町をそれぞれ編入。近世は平坂街道に沿う市場町,松平氏 4500石の城下町として発展。東部の三谷港は江戸時代から漁業と海運業で繁栄し,吉田藩年貢米の積み出しも行なった。 1888年東海道本線蒲郡駅が開設。鉄道唱歌に「海の眺めは蒲郡」とうたわれるほど海岸美に優れ,観光地,天然の良港として発達。近年は三河木綿で知られる綿織物工業を中心に,ロープ製造が行なわれる。 1963年東三河工業整備特別地域に指定。工業用地の造成が進み,木材関連企業などが立地する。北部の南向き山麓斜面ではミカンが栽培され,温室栽培地としては全国有数。蒲郡港は木材の輸入と自動車の積み出しが多く,三谷港は遠洋漁業の基地で,カツオ,マグロの水揚げが多い。清田の大クス,八百富神社社叢,大島ナメクジウオ生息地は国の天然記念物に指定。市内の美しい海岸,ヨットハーバー,三谷温泉,形原温泉,西浦温泉の温泉地,三ヶ根山など三河湾国定公園の中心をなす。面積 56.92km2。人口 7万9538(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by