日本歴史地名大系 「彦成村」の解説 彦成村ひこなりむら 埼玉県:三郷市彦成村[現在地名]三郷市彦成上彦名(かみひこな)村の北に位置する。西端を流れる中川の自然堤防上に集落が発達し、東に延びる後背低湿地に耕地が展開する短冊状の村。葛西(かさい)用水(本田用水)が村の中ほどを南北に流れ、大場(おおば)川が東境を疎通する。「本土寺過去帳」の二二日に「鏡院 明応三甲寅六月 ヒコナリ」、一六日に「妙行 ヒコナリ 神田大良左衛門父 壬子(慶長一七年カ)十月 舜引導」とみえる。また寛文九年(一六六九)に鋳造された三輪野江(みわのえ)村(現吉川町)の定勝(じようしよう)寺の梵鐘銘に、もとは葛飾郡に吉川(よしかわ)・彦成の二郷があり、周囲の村々はこれに属していたとある。慶長六年(一六〇四)伊奈忠次は「河辺三ヵ寺」と称された当村円明(えんみよう)院と高久(たかひさ)村密厳(みつごん)院・吉川村延命(えんめい)寺(現吉川町)にそれぞれ一町歩ずつの開発を命じ、開発した新田は寺領として寄進することを約束している(「伊奈忠次黒印状」円明院文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by