円明院(読み)えんみよういん

日本歴史地名大系 「円明院」の解説

円明院
えんみよういん

[現在地名]仁尾町家浦

真言宗御室派。七宝山円興寺と号し、本尊薬師如来。延元四年(一三三九)忍性の中興と伝える。観応三年(一三五二)五月日の僧定円譲状(賀茂神社文書)詫間たくま庄家浦の僧定円とあるが、当院の僧であったと推測される(新修仁尾町誌)。古くは現在地より二〇〇メートルほど南にあったが、元和二年(一六一六)現在地に移された。寛政三年(一七九一)には京都仁和寺を本寺とし、つむ十輪じゆうりん院・大浜おおはま寿命じゆみよう(現詫間町)香田こうだ宝善ほうぜん(跡地は現同上)末寺とする(西讃府志)

円明院
えんみよういん

[現在地名]練馬区錦一丁目

恵日山と号し、真言宗豊山派。本尊は不動明王。行真の開山という。寺伝では賢栄阿闍梨の開基と伝える。応永一一年(一四〇四)の弥陀線彫板碑、文亀元年(一五〇一)の「資栄」と刻した板碑、同年の弁財天像線彫板碑など六基を所蔵

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報