影山城跡(読み)かげやまじようあと

日本歴史地名大系 「影山城跡」の解説

影山城跡
かげやまじようあと

[現在地名]窪川町七里 影山

影山の北方三滝みたき山上にあり、仁井田五人衆の一人西氏の居城跡。本丸跡は広さ約一〇〇坪で土塁は確認できないが、直径五〇センチほどの礎石が草に埋もれて散在。西氏は伊予河野氏一八家の一と伝え、本姓は越知氏。時に藤原氏・新居氏とも称した。同じく仁井田五人衆のうちの東氏の分流といわれる。東氏と同様に一条氏領仁井田にいだ庄の荘官であったと考えられ、西荘司和泉守越知宗勝は、一条氏がその所領東境に置いた八番頭のうち川原番頭を勤めたという(仁井田郷談「南路志」所収)。元亀二年(一五七一)ごろ長宗我部元親に降ったが、領地は安堵された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む