うしろ‐おび【後帯】
- 〘 名詞 〙
- ① =うしろむすび(後結)①⇔抱え帯。
- [初出の実例]「Vxirovobiuo(ウシロヲビヲ) スル」(出典:日葡辞書(1603‐04))
- ② 娘。また、特に、帯を背後で結んで、素人の娘のような姿をしている遊女。
- [初出の実例]「後帯のうつくしもの、弐人のそばによりそへば」(出典:洒落本・虚実柳巷方言(1794)上)
後帯の語誌
( 1 )着用時に前に作った結び目は後ろにまわしたようだが、帯の幅が狭く結び目が小さい場合には動作に支障はなく、また寛文(一六六一‐七三)の頃までは帯の結び目を作らず、折り込むようにもしたので、その位置はさして問題にならなかった。
( 2 )遊女は前帯であったが、時代が降ると素人風に後ろに結び、彼女等もまた遊里の用語で「後ろ帯」と呼ばれるようになった。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の後帯の言及
【帯】より
…結び方も吉弥結び,水木結び,かるた結び,はさみ結び,ひっかけ結び,御所結びなどの種類があり,帯の締め方も前結びと後結びとがあった。前結びは前帯ともいわれ,おもに既婚者が結んだところから,主婦の代名詞にもされたが,それに対して後帯は少女の姿を意味していた。 1丈2尺に9寸幅というのは,ほぼ享保(1716‐36)以後,帯の基準となり,結び方もさらに種類が増えていった結果,帯が女装美の中心となり,ここに独特の和装の美が生まれることになったのである。…
【前帯】より
…帯の結び目を前にした締め方。江戸時代には[鉄漿](かね),[留袖](とめそで)とともに,前帯は主婦であることの象徴であった。もともと帯は紐状の帯紐で,前に結ぶのが自然の締め方であった。しかし室町時代のころから公家や武家の女たちが袴をはかないようになり,それにつれて着物の袖や身丈(みたけ)が長くなるにしたがって,帯の幅も広くなり,いまのような帯付姿が流行するようになった。当初の帯の締め方は結び目が一定せず,前,後ろ,横さまざまであったが,元禄(1688‐1704)ころから着物の袖や帯の締め方により未・既婚の区別が生ずるようになった。…
※「後帯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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