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洒落本 しゃれぼん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

洒落本
しゃれぼん

江戸時代中期~後期の小説の一形態。延享~文政 (1744~1830) に行われた。遊里案内を通して,笑いのなかに江戸の美意識の一つである「 (つう) 」を述べるのを旨とした。小本1冊が原則で,蒟蒻本 (こんにゃくぼん) ,粋書,通書などともいう。本来文人の余技として書かれ,享保 13 (1728) 年江戸版『艶詞両巴巵言 (りょうはしげん) 』,延享3 (46) 年大坂版『月花余情』などの漢文体や漢文調の諧謔を主としたものが源流とされる。会話体をとる宝暦7 (57) 年刊『異素六帖』『聖遊廓 (ひじりゆうかく) 』を経て,明和7 (70) 年以前刊『遊子方言』,同7年刊『辰巳之園 (たつみのその) 』にいたり,江戸中心の会話体写実小説の形態が確立,山東京伝によって完成された。寛政の改革以後,「通」より人情を強調する作品が生れ,人情本が導かれる。ほかに風鈴山人 (大田南畝 ) 『甲駅新話』 (75) ,蓬莱山人帰橋『伊賀越増補合羽竜 (かっぱのりゅう) 』 (79) ,山東京伝『通言総籬 (そうまがき) 』『古契三娼』 (87) ,梅暮里谷峨 (うめぼりこくが) 『傾城買二筋道』 (98) など。

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デジタル大辞泉の解説

しゃれ‐ぼん【×落本】

江戸中期から後期にかけて、主として江戸で流行した遊里文学。うがちを主題に、遊里の内部や遊女・遊客の言動を、会話を主にして写実的に描いたもの。寛政の改革で、風俗壊乱を理由に一時禁止された。ふつう、書型は半紙四つ折りの小形本。山東京伝の「通言総籬(つうげんそうまがき)」「傾城買四十八手」などが代表作。蒟蒻本(こんにゃくぼん)。小本(こほん)。

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百科事典マイペディアの解説

洒落本【しゃれぼん】

江戸時代の小説の一種。蒟蒻本(こんにゃくぼん),小本(こほん)とも。17世紀前半に興り,明和〜文政(1764年―1830年)ごろ盛行。吉原岡場所などの遊里を舞台に,遊里を中心に生まれた美意識の一理想である〈通(つう)〉を,会話中心の文体でおもしろおかしく描く。
→関連項目朱楽菅江江戸文学戯作骨董集蒟蒻本式亭三馬森羅万象帝国文庫唐来参和人情本

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世界大百科事典 第2版の解説

しゃれぼん【洒落本】

江戸時代の小説形態の一種。享保(1716‐36)後半から始まり,文政(1818‐30)ころまでに多く刊行された,遊里に取材する短編の小冊子(小本(こほん))。遊客遊女などの姿態言動を,会話を主とした文章で写実的に描き,かんたんな小説的構成をとるものが多いが,漢文体,狂文体の遊里繁盛記・風物誌,あるいは遊興論もある。〈洒落〉とは,遊里を中心に生まれた〈(つう)〉という美的生活理念を中軸として,人間の言動の滑稽味を描くことを意味する。

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大辞林 第三版の解説

しゃれぼん【洒落本】

江戸後期、主として江戸市民の間に行われた遊里文学。明和・安永・天明年間(1764~1789)に流行。会話を基調とし、遊里の事情や恋の手管てくだを写実的に描いた「うがち」の手法が特色。書型は半紙四つ折りの小本。作者に山東京伝・平秩へずつ東作・大田南畝・朱楽あけら菅江らがおり、代表作に「聖遊廓ひじりのゆうかく」「遊子方言」「辰巳之園」「通言総籬つうげんそうまがき」などがある。形や表紙の色から蒟蒻本こんにやくぼん・茶表紙とも呼ばれる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

洒落本
しゃれぼん

江戸中期以後行われた小説形態の一種。遊里に取材し、遊里の習俗、遊客遊女の風俗言動などを、会話を主とした文章で精細に描き、簡単な小説的構成をとったものが多い。また遊里案内や遊客心得、遊興論などの形をとるものもある。書型は半紙四つ折りの小本(こぼん)とよばれる大きさで、紙数30、40枚までの小冊が普通であるが、のちにはやや大形の中本(ちゅうほん)も多くなる。その内容から粋書(すいしょ)・通書(つうしょ)などともよばれ、滑稽本(しゃれぼん)と書かれることもある。最初は1730年ごろ(享保(きょうほう)の後半)漢学の素養のある人々が、中国の遊里文学に倣って漢文体の戯文をつくったことに始まり、遊里の諸事象を古典・故事に付会するおかしさをねらった作品などが出たが、やがて遊里社会を中心として行き渡った「通(つう)」という美的生活理念を追求して、通に至りえない半可通(はんかつう)や野暮(やぼ)の滑稽(こっけい)ぶりをおもしろおかしく描く一方、特殊な遊里社会の知識や内情を「うがち」と称して読者に提供しようとする風潮を生じた。1770年(明和7)の『遊子方言(ゆうしほうげん)』(多田爺(ただのじじい))、『辰巳之園(たつみのその)』(夢中散人寝言先生(むちゅうさんじんねごとせんせい))などによって、吉原・深川を対象とする写実技法による小説の型ができあがり、山手馬鹿人(やまのてのばかひと)(大田南畝(なんぽ))、蓬莱山人帰橋(ほうらいさんじんききょう)、万象亭(まんぞうてい)などが、滑稽とうがちにそれぞれ特色をみせたが、山東京伝(さんとうきょうでん)に至って、『通言総籬(つうげんそうまがき)』(1787)、『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』(1790)などの傑作によって洒落本は通の文学としての完成をみせた。
 1791年(寛政3)の改革政治による弾圧で、洒落本は一時衰えたが、1800年前後(寛政(かんせい)末・享和(きょうわ)初め)ごろ、梅暮里谷峨(うめぼりこくが)、式亭三馬(しきていさんば)、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)らによって、従来の通の意識を脱却した、うがちよりも人情を前面に押し出す主情的な作風が多く出され、やがて後編・続編と続く長編化の傾向をも生じて、1830年ごろ(文政(ぶんせい)末・天保(てんぽう)初め)には人情本(にんじょうぼん)に移行した。一方、会話を主とする写実技法は、笑いの独立とともに、三馬や一九に活用されて、滑稽本(こっけいぼん)の領域に大きく受け継がれた。[水野 稔]
『水野稔著『黄表紙洒落本の世界』(1976・岩波新書) ▽同校注『日本古典文学大系59 黄表紙洒落本集』(1958・岩波書店) ▽中野三敏他校注『日本古典文学全集47 洒落本・滑稽本・人情本』(1971・小学館) ▽水野稔・中村幸彦・神保五彌他編『洒落本大成』全29巻・補巻1(1978~88・中央公論社)』

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世界大百科事典内の洒落本の言及

【戯作】より

…江戸中期に知識人の余技として作られはじめた新しい俗文芸をいう。具体的には享保(1716‐36)以降に興った談義本洒落本(しやれぼん)や読本黄表紙,さらに寛政(1789‐1801)を過ぎて滑稽本(こつけいぼん),人情本合巻(ごうかん)などを派生して盛行するそのすべてをいう。またその作者を戯作者と称する。…

【小本】より

…おおよそ縦14~15cm,横10~11cmで,今日の文庫本程度の大きさである。江戸後期の洒落本は主としてこの形態をとる。幕末になって銅版印刷が行われてくると,ハンディな袖珍(しゆうちん)本の形態であるのでこの大きさの書物の出版が増加する。…

【花折紙】より

…洒落本の評論書。《戯作(げさく)評判花折紙》ともいう。…

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