後藤太兵衛(読み)ごとう・たへえ

朝日日本歴史人物事典 「後藤太兵衛」の解説

後藤太兵衛

没年:延宝1.5(1673)
生年:生年不詳
江戸前期,加賀藩(石川県)の藩営新田典型の一とされる里子新開に功労があった十村肝煎。明暦1(1655)年から金沢城下南部の丘陵地泉野の田畑開発を行い新村建設に尽くした。さらに藩の助成を受け,寛文11(1671)年より犀川上流小原村から取水する長坂用水を造成,泉野の灌漑面積を広げ,困窮農民であった里子104人を移して長坂新村をたて,945石余の新田開発を行った。<参考文献>『後藤家文書目録』『加賀藩農政史の研究』上

(木越隆三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤太兵衛」の解説

後藤太兵衛 ごとう-たへえ

?-1673 江戸時代前期の開拓者
加賀石川郡押野村(金沢市)の大庄屋。明暦-万治(まんじ)(1655-61)のころ泉野付近に田畑をひらく。さらに犀(さい)川の水をひいて長坂用水をつくり,石高約950石におよぶ新田を開発。長坂新村誕生のもととした。延宝元年死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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