後藤桃水(読み)ゴトウ トウスイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「後藤桃水」の解説

後藤 桃水
ゴトウ トウスイ


職業
民謡

本名
後藤 正三郎

生年月日
明治13年 10月25日

出生地
宮城県 野蒜村

学歴
仙台二中卒,日本大学中退

経歴
中学時代に普化宗尺八小梨錦水入門。明治38年上京、東京・神田猿楽町に“追分節道場”(後の大日本民謡研究会)を開設し、以後日本各地に埋もれていた俚謡(民謡)を発掘し、それを上演することにより民謡を日常生活の一部としての“うた”から“音楽”の一分野として発展させ確立した。大正9年10月東京で第1回全国民謡大会を開催して成功を収め、“日本民謡の父”といわれた。12年関東大震災により仙台に戻る。昭和3年NHK仙台開局より民謡放送の番組編成にも尽力。また「八戸小唄」の作曲なども手掛けた。

没年月日
昭和35年 8月8日 (1960年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「後藤桃水」の解説

後藤 桃水
ゴトウ トウスイ

明治〜昭和期の民謡家



生年
明治13(1880)年10月25日

没年
昭和35(1960)年8月8日

出生地
宮城県野蒜村

本名
後藤 正三郎

学歴〔年〕
仙台二中卒,日本大学中退

経歴
中学時代に普化宗尺八の小梨錦水に入門。明治38年上京、東京・神田猿楽町に“追分節道場”(後の大日本民謡研究会)を開設し、以後日本各地に埋もれていた俚謡(民謡)を発掘し、それを上演することにより民謡を日常生活の一部としての“うた”から“音楽”の一分野として発展させ確立した。大正9年10月東京で第1回全国民謡大会を開催して成功を収め、“日本民謡の父”といわれた。12年関東大震災により仙台に戻る。昭和3年NHK仙台開局より民謡放送の番組編成にも尽力。また「八戸小唄」の作曲なども手掛けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤桃水」の解説

後藤桃水 ごとう-とうすい

1880-1960 明治-昭和時代の民謡研究家。
明治13年10月25日生まれ。宮城県出身。小梨錦水に尺八をまなぶ。明治39年東京神田に追分節道場をひらく。各地で尺八をおしえながら,民謡の歌い手交流。大正初期から東京で追分節大会を開催。大正11年大日本民謡研究会を組織東北民謡の育ての親といわれる。昭和35年8月8日死去。79歳。日大中退。本名は正三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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