後藤派(読み)ごとうは

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後藤派」の意味・わかりやすい解説

後藤派
ごとうは

装剣金工の一派室町時代後藤祐乗を祖とし,江戸時代末期,17代典乗まで続いた。京都を本拠とし,江戸,金沢にも分派があった。京後藤家は桃山,江戸時代を通じて将軍家にかかえられ,金工の宗家とされて,その作品は民間町彫 (まちぼり) に対し家彫 (いえぼり) と称された。江戸時代中期以降は材料,意匠,制作技法などに厳重な規範が設けられ形式化した。しかし江戸時代末期まで,将軍家をはじめ武家の正式の拵 (こしらえ) には,必ず後藤家の作を用いるように定められていた。初代祐乗,2代宗乗,3代乗真,4代光乗,5代徳乗,7代顕乗,11代通乗,および分派殷乗家の末孫の一乗などが名工

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