後藤誉之助(読み)ゴトウ ヨノスケ

20世紀日本人名事典 「後藤誉之助」の解説

後藤 誉之助
ゴトウ ヨノスケ

昭和期のエコノミスト 経済安定本部調査官。



生年
大正5(1916)年10月25日

没年
昭和35(1960)年4月13日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝国大学工学部電気工学科〔昭和16年〕卒

経歴
昭和16年電気庁に入庁。22年経済安定本部に移り、戦後の経済復興計画の企画立案に当たった。27年度から33年度まで、30年度を除き計6回にわたって経済白書執筆。31年度白書では「もはや戦後ではない」の流行語を生み、32年度には就業構造の特殊性を示す「二重構造」の用語、33年度は「なべ底不況」を登場させ、経済白書の評価を高めた。著書に「日本経済の見方考え方」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤誉之助」の解説

後藤誉之助 ごとう-よのすけ

1916-1960 昭和時代後期の官僚
大正5年10月25日生まれ。昭和22年経済安定本部(のち経済企画庁)にはいる。27年度から33年度まで(30年度を除く)経済白書を執筆。31年度の白書の結語にかいた「もはや戦後ではない」は流行語となった。昭和35年4月13日死去。43歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「日本経済の見方考え方」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「後藤誉之助」の解説

後藤 誉之助 (ごとう よのすけ)

生年月日:1916年10月25日
昭和時代の官僚。経済安定本部調査官
1960年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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