後谷地砂防林(読み)うしろやちさぼうりん

日本歴史地名大系 「後谷地砂防林」の解説

後谷地砂防林
うしろやちさぼうりん

[現在地名]能代市東町・元町・南元町・中和一―二丁目・追分町若松町・住吉町・栄町・花園町・通町・西通町・昭南町・青葉町・出戸本町・後谷地国有林

藩政期には、能代町の町屋から北方一帯を後谷地と称した。後谷地は飛砂の被害が激しかったことから、松などを植えて砂留をし能代町を守った。正徳二年(一七一二)越後屋太郎右衛門に後谷地砂留普請の命が下ったが、前年から越後屋は清助せいすけ町後ろの砂留にかかっていたこともあって「後谷地之儀は広大之場所にして迚も壱人にてハ無覚束候間、越前屋久右衛門を相加へ両人ニ被仰付被下度」と願い出て許され(「後谷地砂留一件書留」渡辺家文書)、二人は次の制札を与えられた。

<資料は省略されています>

翌年には「放馬往還道之外、人馬共堅往還致へからざる者也」との制札も得ている。享保七年(一七二二)の御絵図面御裏書御札被仰渡御書付写(渡辺家文書)によると、正徳三年の砂留普請取決めの内容は次のとおりであった。

<資料は省略されています>

この地域は山方小杢と中田五郎兵衛の差紙下にあり、所々畑地もあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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