徐福墓(読み)じよふくのはか

日本歴史地名大系 「徐福墓」の解説

徐福墓
じよふくのはか

[現在地名]新宮市新宮

阿須賀あすか神社の南約四〇〇メートルにある。「史記」によれば、徐福は秦の始皇帝の命により童男童女数千人を率い、不老長寿の霊薬を求めて蓬莱山に船出したが、ついに帰国しなかったという。日本では、徐福は熊野の浦に漂着、当地で没したという伝えがある。臨済僧絶海中津は渡明し、永和二年(一三七六)明の太祖に謁した際、徐福について尋ねられ、次のような詩を賦して答えている(蕉堅稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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