徐福(読み)ジョフク(その他表記)Xú Fú

デジタル大辞泉 「徐福」の意味・読み・例文・類語

じょ‐ふく【徐福】

中国伝説上の人物始皇帝時代不老不死仙薬を求めて海を渡ったとされる。日本漂着したともいわれ、各地に伝説が残る。

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改訂新版 世界大百科事典 「徐福」の意味・わかりやすい解説

徐福 (じょふく)
Xú Fú

中国,秦代の方士徐市(じよふつ)とも。斉(山東省)の出身で,斉の地に伝わる神仙説を宣伝し,秦の始皇帝に取り入り,東海中三神山蓬萊方丈,瀛洲(えいしゆう))に仙人不死の仙薬を求める探検に巨額の援助を受ける。童男,童女数千人をつれて船出をしたほか,のちにはまた海神と戦うと称し兵士ももらい受けた。彼は海上に広々とした土地(一説に亶洲(たんしゆう)という)を発見しその地の王になったとされる。徐福は日本の熊野に来たのだという伝説のほか,亶洲は種子島だとする説,あるいは彼がすなわち神武天皇で,日本に入って国を立てたのだとする説などがあるが,いずれも実証を欠く。
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百科事典マイペディア 「徐福」の意味・わかりやすい解説

徐福【じょふく】

秦の始皇帝の命を受け東海三神山蓬莱(ほうらい)山,方丈山,瀛洲(えいしゅう)山)に不老不死の薬を求めた方士(仙術家)。《史記》では徐市(じょふつ),《漢書》では徐福。童男童女数千人を連れて船出したといい,日本の新宮市蓬莱山にこの徐福の墓と伝えるものがある。
→関連項目蓬莱山

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徐福」の意味・わかりやすい解説

徐福
じょふく
Xu Fu

中国,秦代の方士 (ほうし) 。徐市 (じょふつ) ともいう。秦の始皇帝の命で童男童女数千人を連れて,海中の三神山に不死の薬を捜しに出かけたという。しかし,三神山は発見できず,日本の紀州へ上陸した,といわれてその記念碑が現存し,連れて行った童男童女から生れた子孫が日本民族である,という説すらあるが,いずれも後世の伝説にすぎない。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徐福」の解説

徐福 じょ-ふく

?-? 秦(しん)(中国)の方士。
徐巿(ふつ)ともいう。紀元前3世紀の後半,始皇帝の命により不老不死の仙薬をもとめて東海の三神山にむけて船出したという。日本各地に漂着の伝説がのこっており,和歌山県新宮市に碑がある。

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世界大百科事典(旧版)内の徐福の言及

【串木野[市]】より

…鹿児島本線や国道3号線に沿い,鹿児島市への交通の便はよく,また東シナ海に浮かぶ甑(こしき)島列島への定期船の起点である。北東境にある冠岳(516m)は,秦の始皇帝の臣徐福が不老不死の仙薬を求めてここまで来て冠を捧げた所といわれる。海食地形の発達する長崎鼻や7月末に行われる串木野さのさ祭などが観光の中心である。…

【始皇帝】より

…まず,山東地方に至り,泰山に登りここで封の儀式を,ふもとの梁父(りようほ)で禅の儀式を執行した(封禅)。ついで,山東半島をめぐったが,このおりに斉人の方士徐市(じよふつ)(徐福ともいう)から海中にある三神山(蓬萊,方丈,瀛州(えいしゆう))のことを聞き,徐市に僊人(仙人)と不死の薬を求めさせた。不老長生を願い,みずからも真人(仙人)を思慕するあまり,しばらくは真人と自称して朕の称号を捨てるほどであった。…

【新宮[市]】より

…1958年紀勢本線が全線開通し,名古屋,大阪の大都市圏と結ばれるとともに,瀞(どろ)峡,熊野本宮大社など熊野観光の基地としてにぎわう。市内には天然記念物の新宮藺沢(いのさわ)浮島植物群落や神武天皇東征にちなむ神倉神社の天磐盾(あめのいわたて),秦の始皇帝の命を受けて渡来したといわれる徐福の墓がある。【水田 義一】
[歴史]
 古くから熊野水軍の根拠地の一つとして知られる。…

※「徐福」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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