得能亜斯登(読み)とくのう あすと

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「得能亜斯登」の解説

得能亜斯登 とくのう-あすと

1837-1896 幕末-明治時代の武士,官吏
天保(てんぽう)8年生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩士林三十郎の長男。藩主伊達宗城(むねなり)の側近として京都留守居役となり,坂本竜馬らと王政復古をはかる。戊辰(ぼしん)戦争では有栖川宮熾仁(ありすがわのみや-たるひと)総督のもとで東征軍の参謀。維新後,開拓権(ごんの)判官をつとめた。明治29年10月10日死去。60歳。名は通顕(みちあき)。通称は別に玖十郎(くじゅうろう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む