電信(読み)デンシン(その他表記)telegraph

翻訳|telegraph

デジタル大辞泉 「電信」の意味・読み・例文・類語

でん‐しん【電信】

文字・図・写真などを電気信号に変えて伝送する通信方式印刷電信ファクシミリなど。
[類語]無線無電電報

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精選版 日本国語大辞典 「電信」の意味・読み・例文・類語

でん‐しん【電信・伝信】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 文字や符号、あるいは写真などを電気的な符号に変えて隔たった場所で再現する通信。また、電信で送った文字や符号。電報。テレグラフ
    1. [初出の実例]「電信なれば数百里外の事も立どころに辨達することを得べし」(出典:新聞雑誌‐四一号・明治五年(1872)四月)
  3. 電流を送電線で送ること。
    1. [初出の実例]「内地と北海道との間の海底を通りたる電信の線(はりがね)は二筋ありて」(出典:東京日日新聞‐明治九年(1876)七月三一日)
  4. 呼びりん。
    1. [初出の実例]「柱に設けし電信を圧せば」(出典:緑簑談(1888)〈須藤南翠〉続)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「電信」の意味・わかりやすい解説

電信
でんしん
telegraph

電気通信における信号伝送方式の一種。伝送しようとする文言・画像などを電気的な符号や信号に変換して送信し、または受信する装置、およびこれを運用する行為、または送達された電報をいう。

[石島 巖]

歴史

人類は1000年以上も前から、のろしやトム・トム(太鼓)などを通信の手段としてきた。文書を送る必要があるときは早馬(はやうま)や伝書鳩(でんしょばと)などがその手段となった。1785年にフランスのC・A・クーロンによって帯電体または磁極の引力斥力の法則、いわゆるクーロンの法則が発見されたのち、多数の研究者が静電気、磁石、電流の磁気作用、電流による化学変化などを応用する通信方法を考案した。これらの一部は、イギリスの鉄道に採用されたが、ほとんど実用化されることなく推移した。

 一方、1793年にフランスのC・シャップは、セマホールsemaphoreとよばれる腕木(うでぎ)通信によって、パリとリール間で230キロメートルに及ぶ遠距離高速通信に成功した。これは、約10キロメートルごとに設けた高い塔の上の腕木の形の変化を望遠鏡で観測して、これを中継するもので、類似の方式がイギリスでも実用化された。

 電気を用いる電信といえるものは、イタリアのC・A・ボルタによって有名な「ボルタの電池」が発明されたあとに実用化されている。

 イギリスのW・F・クックとC・ホイートストンは1837年に5針電磁式電信機の特許をとり、1.5キロメートルの距離の通信実験を行った。これがグレート・ウェスタン鉄道に採用され、ロンドンのパディントンとウェスト・ドレイトン間21キロメートルの実用化に成功した。このシステムは1852年ごろにはイギリス内において6500キロメートルの電信路を完成するまでになっていた。

 もう一つの偉大な発明は、アメリカのS・F・B・モースとベイルAlfred Lewis Vail(1807―1859)によって1837年に成し遂げられた有名なモールス符号およびモールス電信機である。

 モースはアメリカの画家であり、1835年にニューヨーク大学の美術史の教授として迎えられた。1832年にヨーロッパ留学を終えての船旅のおり、乗り合わせた船客に見せられた電磁石に大きな興味をもち、電信機の感応素子として利用できるという確信を得た。そしてモールス符号を考案し、ベイルのもつ機械についての能力と結び付くことによってモールス電信機が誕生した。1844年ワシントンDCとボルティモア間の64キロメートルに電線を敷いて行われた実験において最初に送られた電文は「神のなせし業(わざ)」What hath God wroughtであった。1963年にアメリカの大統領ケネディが通信衛星シンコムによるナイジェリアの総理大臣との7万2000キロメートルを隔てた最初の会話を、このことばで結んだという逸話が残っている。

 日本に最初にモールス電信機をもたらしたのは、アメリカのペリーである。1854年(安政1)に横浜において1.6キロメートルの通信実演を行ったと伝えられている。最初の公衆通信は、1870年1月(陰暦明治2年12月)に東京と横浜間でブレゲー電信機によって開通し、9月には大阪と神戸間で開通した。当時世界では電信が実用期に入っており、ボンベイ(現、ムンバイ)―スエズ間、ロンドン―コペンハーゲン間、パリ―ベルリン間、アデン―スエズ間、ロンドン―カルカッタ(現、コルカタ)間、などに電信回線が開通。アメリカでも国内の回線の延長が1万2000キロメートルにも達していた。1858年には、延長3600キロメートルの大西洋海底電信線が完成したが、約1か月で不運にも不通となったといわれる。

[石島 巖]

無線電信

無線による電信はイタリアの青年G・マルコーニによって1896年に発明された。マルコーニの発明はJ・C・マクスウェルの電磁波に関する理論と、H・R・ヘルツによる電磁波の存在を示す実験を熟知してのうえで、共振現象とコヒーラー検波器を利用し、モールス符号を使用することによって達成された。翌1897年に行われたデモンストレーションの際、これを見守る科学者の前に送られてきた文字は“HEINRICH HERTZ”であったと伝えられているのも、この事情を物語るものである。

 日本の無線電信の歴史のなかで特筆すべきものは、日露戦争での日本海海戦における活躍である。1905年(明治38)5月末、哨戒艦(しょうかいかん)信濃丸(しなのまる)は対馬(つしま)の沖に近づくロシアの大艦隊を発見し、有名な「敵艦見ゆ」という無線電信を発して大勝利の端緒を開いた。マルコーニが実験に成功してからわずか10年後のことであり、無線電信機は木村駿吉(きむらしゅんきち)と安中常次郎(あんなかつねじろう)(1871―1913)の指導によって製作されたと記録されている。

 その後、第一次、第二次の世界大戦では通信の戦争といわれるほどの技術的進歩をみるのであるが、真空管の発明は有線・無線を問わず電信の通達距離を飛躍的に伸ばし、通信速度を10倍以上もあげることに役だった。各種部品の性能向上は、周波数の安定化、高周波化を可能とした。すべての科学技術や工業の発展が通信技術の発展につながり、通信機は兵器としての役割を強めていった。

 第二次世界大戦後の50年間の技術の進歩は、枚挙にいとまがない。トランジスタ、IC(集積回路)、LSI(大規模集積回路)の登場によってデジタル信号の高速処理が可能となり、信号の多重化、自動化、記憶、変換など、先人たちが夢想だにしなかったようなレベルにまで到達した。

 現在、日本からの対外通信は海底ケーブルと通信衛星とによって行われているが、広帯域回線を含み、KDDIや各通信事業者が帯域を分け合って有効に利用している。写真電送、ファクシミリ、データ伝送も電信の部類に含まれ、惑星観測衛星から送信される写真データも電信の部類に属するのである。

[石島 巖]

電気通信業務における電信

電気通信事業法では従来の公衆通信業務を電気通信業務という。通信業務の官による独占を禁じたため、公衆と呼称する必要がないからである。その電気通信業務は電信と電話に分けられている。電信は電報で知られるように利用者が文字で書いて送達を依頼した原稿を第三者が仲介し、符号化して目的地まで伝送ののち、復号して文字に直したうえで受信人に配達する形態の通信である。電話は利用者相互の対話であるが、電信は送信依頼の時刻と配達の時刻との間に通常いくらかの時間が必要である。この時間は短ければ短いほどよいが、電話のように即時性は要求されないから、通信回線の空き時間を利用できるため、その伝送能力を効果的に活用できる。

 また電信は文書として記録に残される形態の通信であるから、重要な指令を正確に伝達するような場合に適した方式であるといえる。

[石島 巖]

電信の運用

電信の符号にはモールス符号があり、印刷電信には5単位符号と6単位符号とがある。5単位符号は英文の伝送に、6単位符号は和文と英文の伝送に使用される。印刷電信の伝送路は周波数分割、時分割などの方法で多重化され広帯域伝送となっている。個々の利用者は日本電信電話(NTT)またはKDDIなどから回線と設備の提供を受け、これによって直接テレタイプ通信を行うことができる。これを加入電信(テレックス)とよび、特定の通信相手との間に専用の通信回線を借り受けて行う印刷電信を専用電信とよぶ。

 1990年代に入るとモールス電信は先進国ではほとんど使用されなくなり、海上通信も印刷電信が二つの形態で運用されている。一つはARQ(automated request of repetitionの略、自動誤字訂正方式)システムという短波を使用しての狭帯域直接印刷電信(NBDP)システムである。この通信方式は、フェージング(電波の受信状態が時間的に変化する現象)の激しい短波回線を利用するために発生する誤字・脱字を受信側で自動検出して再送要求するもので、欧米では1960年代から実用段階に入っているが、日本では1981年(昭和56)から試験的に英文だけの運用が始められた。この方式は誤字率も驚くほど低く、非常に実用性のある方式と考えられるが、インマルサット(国際海事衛星システム。現、国際移動通信衛星システム)による無線電話が好まれる日本ではほとんど普及しなかった。

 衛星通信では主として電話と電信(テレックス)が使用されている。陸地相互の衛星中継はインテルサット衛星により、また陸地と船舶との間の衛星中継はインマルサット衛星によって行われる。初期の船舶での衛星通信は、すこし理想を追いすぎた傾向があり、インマルサットAというシステムでは、動揺する船舶上のパラボラアンテナをつねに対地静止衛星に向けておくための制御がかなり複雑であった。しかし、これによって高速印刷電信で瞬時に船舶と陸上の加入電信設備とが結ばれ、船舶通信に革命的な進歩をもたらしたことは間違いない。その後、しだいに性能の一部を割愛して簡易化を図り、インマルサットB、インマルサットCへと小型化が行われて急速に普及した。

 また、海上通信で普及の著しいものとして、模写電信システムがある。これは短波帯で運用されるファクシミリであり、1950年代の後半ごろから天気図や新聞を船上で受信し、航海の安全や乗組員の文化的生活の一助となっている。

[石島 巖]

海上通信の変遷

印刷電信や衛星通信の発達にもかかわらず、モールス通信システムは海上通信において1999年1月まで最重要な通信方式として維持されてきた。無線電信がマルコーニによって発明されてまもない1912年に、イギリスの豪華客船タイタニック号の遭難事故が発生し、1500名を超える犠牲者を出したが、その原因が無線電信運用のまずさにあることが明白になり、船舶における無線電信の重要性が認識された。この認識にたって海上無線通信運用のための世界的な規則を定めるべく、国際無線電信連合の主管庁会議がロンドンに招集された。こうして海上人命安全条約や国際無線電信条約が結ばれ、海上通信、とくに遭難通信をすべての通信の疎通に対して優先させる理念が確立された。

 1992年までの電気通信条約に付属する無線通信規則や日本の国内法である電波法、船舶安全法などには、この理念が貫かれている。それによれば、遠洋航海に従事する大型の船舶には、もっとも理想的な通信設備として500キロヘルツの遭難周波数の電波でモールス符号による遭難信号を手動および自動で送出することのできる送信設備と、聴覚で遭難周波数のモールス信号を聞き取ることができる受信設備の設置が強制され、第一級または第二級の無線通信士の資格をもつ通信士を選任しなければならないことになっていた。この500キロヘルツの無線電信送信設備は昼間に190海里(約352キロメートル)以上の通達距離をもつことを証明しなければ、外国に向けて出航できないというきわめて厳しい条約になっていたのである。500キロヘルツのような中波帯の電波は、通達距離以内ではつねに安定に受信できるので、聴覚聴守と自動受信(オートアラーム)とを併用する遭難警報や緊急通信の受信体制は万全であり、190海里以内で発生する海難事故にはただちに対処できる体制で世界の船舶が航行していたことは確実であった。

 しかし、技術の進歩により、モールス通信システムが崩壊する時期が到来した。世界の海運界では、国際海事機関(IMO)を中心として科学技術の進歩に適応する合理的な船舶運行のあり方を検討し、この研究を「将来の海上における遭難及び安全に関する世界的な制度Futures Global Maritime Distress and Safety System」(FGMDSS)と名づけた。このなかの海上無線通信の改革については、1975年ごろからIMOの無線通信部会、国際電気通信連合(ITU)の世界無線通信主管庁会議(WMRC)および国際無線通信諮問委員会(旧、CCIR。現在はITU-Rに統合)が研究してきた。そして、遭難通信については、500キロヘルツを使用する無線電信は、その通達距離が350キロメートル程度しかなく、今後は世界のどこで遭難しても瞬時に陸上で把握することが必要であるうえ、モールス符号の送受信には長時間の訓練が必要であり、特殊技能をもつ通信士以外は遭難通信が行えないのは不都合であるとの結論を下し、遭難通信にモールス無線電信を使用するのを取りやめることとした。

[石島 巖]

衛星通信による遭難通信システム

これにかわる遭難通信システムとして、次のような衛星通信システムが考案された。それは、コスパス・サーサット衛星(コスパスはロシアの衛星、サーサットはアメリカの衛星でおのおの4個ずつ)を極軌道で低高度を周回させておく。すべての船舶には非常用位置指示無線標識Emergency Position Indicating Radio Beacon(EPIRB(イパーブ))を船外に取り付け、もし船舶が遭難して沈没し、そのEPIRBが海面下4メートルに達したときに水圧センサーが作動してEPIRBを浮上させ、406メガヘルツの電波を海面から発射する。この信号はデジタル信号であり、コスパス・サーサット衛星は自己の軌道上の運行によるドップラー効果(電波の発信源からの位置関係が急速に変化するために受信する周波数が変化する現象)を利用して遭難船舶の位置を測定し、位置情報を加えて陸上の受信局であるローカルユーザーズターミナル(LUT)に向けて1.6ギガヘルツ帯のデジタル信号電波で中継する。LUTは世界に30局設置されており、航行する船舶は毎日1回、自船の位置情報を、その海域を担当する救難機関に無線を通じて連絡しておくようにする。衛星に中継された遭難通報を受信したLUTは、遭難船舶の付近を航行している船舶をリストから割り出して救助を依頼するというものである。

 この制度は世界の大多数の国々の賛同を得て、「将来」の意味をもつ文字「F」を外しGMDSSと称して1992年2月より順次新造船舶から実施に移された。一部の国々の反対はあったが、いわゆる先進国の利益を優先させることとなった。当初よりGMDSSは1999年2月からの完全実施を目標としていたが、この時点でも開発途上国の多くは対応が遅れており、海岸局の設備もままならない状況にあった。しかし、IMOは構成員である先進諸国の意向を重視して、GMDSSを予定の期日に完全実施に移した。GMDSS船の通信担当者は、第一級総合無線通信士の資格を必要とせず、第三級海上無線通信士の資格で足りるので、航海士等がその資格をとれば通信を行うことができる。

 日本では海上保安庁の円海山通信統制事務所(横浜市磯子)がLUTとしての業務を行っており、受信された信号は東京霞が関(かすみがせき)の国土交通省合同庁舎内に設置されている海上保安庁の通信所(東京JNA)に接続されている。この無線局は大陸沿岸と北緯17度、東経165度の線によって囲まれる海域において発生する海難について統制する責任をもつことになっている。

 GMDSSはコスパス・サーサット衛星とイパーブのみによって完成するのではなく、万一の場合を考えて二重化させる必要がある。それには、2183.5キロヘルツのSSB無線電話システムおよび、短波の周波数偏移方式のDSC(Digital Selective calling)で相手方を呼び出したあとに短波SSB無線電話、狭帯域直接印刷電信、国際VHF(超短波)無線電話等に切り替えて遭難通報を送るケースを考慮して、一般通信のためのシステムを船種ごとにバランスよく選択するように指導しているのである。この場合、一般通信にモールス通信を選ぶ船舶はないと予想されるので、1999年以降は海上通信の世界からもモールス通信が消えると考えられていた。

[石島 巖]

システムの問題点と国際的責任

日本では、NTTの長崎無線局が1999年(平成11)1月31日をもって、いっさいのモールス信号による電気通信業務を停止し、遭難・緊急・安全に関する通信業務は、すべて海上保安庁にゆだねられた。開発途上国の未移行船舶の措置には先進国は関心を示さなかった。GMDSSについては、日本も大きな問題を抱えており、とくに漁業無線においては、遠洋漁船の無線設備の移行措置が目標も定まらない情況にある。その理由は、これまで遠洋漁船の通信士として勤務していた第三級総合無線通信士という資格の保有者は、移行後には第三級海上無線通信士という資格に昇格しなければ、同じ漁船の無線局にも乗船勤務できなくなるからである。遭難通信を含む国際無線電話に使用できる言語は、英語のほかにフランス語、スペイン語、中国語であり、これ以外の言語は使用できない。第三級海上無線通信士への昇格には、国家試験によって英語(会話を含む)が課せられるが、その出題レベルが最高の第一級総合(または海上)無線通信士と同等と定められていて、きわめてハードルが高いのである。このために漁業界で不足する通信士の数は5000人を超え、その数に等しい漁船が堂々と遠洋海域に進出して操業できなくなるのである。現に漁船に乗り組んでいる5000人の無線従事者に対して、英語の再教育を施し、大学卒業の実力までレベルアップさせることがどんなに困難なことなのか、関係者は理解していたのだろうか疑問とするところである。日本の漁船はイパーブの設置を除いては、ほとんど新体制に移行できないので、漁業界の対応が可能となる時期まで、官民了解の臨時措置により、陸側から海上に向けて送信されるすべてのデジタル情報(気象報、水路通報、航行警報など)を、漁業用海岸局がモールス符号に翻訳して再送信するという条件で、第三級総合無線通信士がそのまま遠洋漁船の無線局に勤務することを認め、かろうじて操業を可能とさせている。このため、日本の大きな漁業用海岸局20局ほどと、所属漁船多数が当分の間モールス通信で運用しているのである。国内的にはこれで漁船の安全は守れるが、国際的な責任は果たせる状況にない。2011年時点で、この経過措置もすでに10年以上続いているが、だれかがまともに取り組まなければ、国際的信用を損なうこと甚だしいのである。日本近海でのGMDSSへの移行の現状は、日本は一般海岸局と商船の無線局については即日移行を終えたが、韓国、中国、台湾の海岸局とその所属の船舶が、数年間モールス符号で通信していた。2011年時点では韓国だけが無線電信の海岸局を維持し、船舶とモールス通信を行っている。韓国は技術的にも経済的にも移行ができないという情況にはないから、この措置は一つの深慮に基づくものであろう。移行後にもっとも懸念されたのは、イパーブの誤発射がきわめて多いと報告されていたことである。事実、世界のLUTにおいて受信される衛星経由の遭難警報は、9割以上が遭難の事実を伴わない誤信号であり、世界のRCCにおいても船舶側からのDSC誤発射に悩まされていると報じられている。2011年の今日でも、このシステムが「狼(おおかみ)少年」となってしまっているようであり、タイタニック号を持ち出すまでもなく、少なくとも、このまま放置してよいはずはない。

[石島 巖]

無線通信士の資格制度

無線通信の通信操作は、無線局の種別と送信電力などによって定められた、なんらかの無線通信士の資格をもつ無線従事者か、無線局に選任されている主任無線従事者の監督を受けなければ行ってはならないと電波法に定められている。

 無線通信の資格には、最高資格の第一級総合無線通信士をはじめとして、第四級アマチュア無線技士に至る23もの段階がある。

 第一級総合無線通信士、第二級総合無線通信士、第三級総合無線通信士、第一級海上無線通信士、第二級海上無線通信士、第三級海上無線通信士、第四級海上無線通信士、第一級海上特殊無線技士、第二級海上特殊無線技士、第三級海上特殊無線技士、レーダー級海上特殊無線技士、航空無線通信士、航空特殊無線技士、第一級陸上無線技術士、第二級陸上無線技術士、第一級陸上特殊無線技士、第二級陸上特殊無線技士、第三級陸上特殊無線技士、国内電信級陸上特殊無線技士、第一級アマチュア無線技士、第二級アマチュア無線技士、第三級アマチュア無線技士、第四級アマチュア無線技士。

 なお、GMDSSにおける外航船舶の無線局に選任を必要とする通信士の資格は第三級海上無線通信士であり、国家試験においてモールス通信の実技試験を要求されない。技術能力の試験は第三級総合無線通信士のレベルより低いが、英語の試験は第一級総合無線通信士と同等の高レベルの能力を要求される。

[石島 巖]

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改訂新版 世界大百科事典 「電信」の意味・わかりやすい解説

電信 (でんしん)
telegraph

広義では電気を利用した通信のことで,有線,無線を含めた電気通信全体を指すが,狭義では初期の電気通信であったモールス電信にその後の印刷電信および模写電信などを含めたものをいう。最近ではおもに狭義で使われており,英語のテレグラフtelegraphの意味も狭義である。電信の業務運営はアメリカ,カナダ,イギリス,日本を除いては国,または公共企業体で行われている。

 電信の歴史は,1837年にS.F.B.モースが発明したモールス電信と,37年にC.ホイートストンらが発明し印刷電信の発端となった指示電信機に始まる。日本では,49年(嘉永2)に佐久間象山が松代藩においてオランダの文献《理学原始第2版》(1847)をもとに指示電信機を作り,電信の実験に成功している。これは54年(安政1)にペリーがモールス電信機を将軍に献上するより5年も前のことであった。事業としての電信は,外国ではアメリカにおいて1845年にニューヨーク~ボルティモア間の実用電信に始まるが,日本では70年(明治2)に東京~横浜間で公衆電報の取扱いを開始した。電報はその後,95年G.M.マルコーニの無線電信の発明,1910年ウェスタン・エレクトリック社の調歩式印刷電信機の発明など新たな通信技術の導入により,各国とも外交,産業をはじめ国民の日常生活に至るまでのあらゆる面で重要,緊急時の通信手段として利用されてきた。

 電報はその性質上,サービス地域は山間辺地を含め国土の津々浦々まで及ぶものであるから,その中継には多くの人手を要し,また所要時間も長くなる。このため,各国とも電報の自動中継交換に取り組んだ。電報の自動中継交換方式には,中継局にテープ受信さん孔機を用いたテープ中継交換方式と,ダイヤルまたは電信符号によって交換機を動作させて発信局と着信局を回線で接続する自動交換方式とがある。前者はアメリカと日本で使われており,アメリカではウェスタン・ユニオン電信会社が46年に実施したが,中継動作の一部にオペレーターが介在するものであった。日本では53年に世界に先駆けてテープ式の全自動中継交換方式を開発し,水戸局に最初に導入した。これはその後パケット交換をはじめとして世界中で計算機間通信などに用いられている半導体記憶を用いた蓄積交換網の雛形でもあった。後者のテープを用いない方式は54年にイギリスで実施され,西ドイツ,フランスなど西欧諸国で採用されている。この自動交換方式は紙テープを用いない代りに回線数が多くなり,端末印刷電信機の数も多くなる欠点もあるが,西欧諸国は電報通数も少ないので,この方法で十分処理できる。また,フランス,スイスなどのようにテレックスと電報の交換網を共用している国もある。国際電報の中継はテープを用いた手動中継か,回線交換機を用いた半自動方式によっていたが,64年にアメリカのRCA通信会社がコンピューターを用いた世界最初の国際電報自動交換システムを採用して以来,各国とも国際電報にはコンピューターを用いる自動方式を採用している。日本でも71年に国際電報自動交換システム(TAS。telegraph automation systemの略)が開発された。また国内の電報中継についてもテープ式の自動交換に代えて,パケット交換網を用いる計画が進められている。

 重要,緊急時の通信手段として主流を占めてきた電報は,加入電話の普及,テレックス,ファクシミリなど,より速く便利な通信手段の発展に伴い,その利用内容は緊急連絡用から儀礼的な慶弔電報へと変容してきている。また,各国とも利用通数が減少しており,かつ配達のための人件費の高騰が加わって電報事業の合理化が課題となってきている。アメリカのウェスタン・ユニオン電信会社では毎年約12%の割合で電報通数が減少しているが,これは自社が提供しているテレックス,テレファクスおよびメールグラムサービスが電報の代替をしているためで,電報の合理化施策として電報受付の集中化を進めている。西ドイツでは人手作業の省力化を目ざして,コンピューターを導入したり,日本と同じくパケット交換網を介して中継する新システムへ移行することを計画中である。イギリスでは,電報通数の減少と経営赤字の増加から,82年に国際電報を残して国内電報サービスを廃止し,テレメッセージサービスを始めた。テレメッセージは,発信者が電話またはテレックスから発信し電文をいったんコンピューターに入れる。そのあとの配達は郵便公社の集配局に送られて,受信人には普通郵便として翌日中に配達されるものである。記録通信手段としての電信は,ファクシミリ,電子メールなどのニューメディアの登場により国際的にも衰退の途をたどっている。ただし,日本の国内電報は慶弔挨拶の風習としての根強い需要と押し花,メロディなどの付加価値電報の発売などに支えられて,85年以降は年4000万通強の取扱いで落ち着いている。経営的にも販売単価の向上と,電報受付の統合,中継設備のパケット交換との統合などの合理化により改善が図られている。
ディジタル交換 →テレックス →ファクシミリ
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百科事典マイペディア 「電信」の意味・わかりやすい解説

電信【でんしん】

電信機を用いて情報を電信符号に変換して伝送する有線または無線の通信方式。モールス符号を利用したモールス電信が広く行われ,G.マルコーニによる遠距離無線電信の成功により重要な通信手段となった。日本では1849年に佐久間象山が指示電信機による電信に成功し,1869年から一般公衆用の電信が行われた。現在では印刷電信機による方式が主で,電話回線を利用して搬送電信が行われている。特殊な電信に,図形を伝送するファクシミリ,加入者間で記録通信するテレックス等がある。→データ通信データ伝送
→関連項目マス・コミュニケーション

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「電信」の意味・わかりやすい解説

電信
でんしん

電気通信」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の電信の言及

【築地居留地】より

…居留地は,そこだけ外国人の居住・営業を許し,治外法権を認めた特別地域で東京の中の外国であった。69年にはこの居留地内の運上所隣接の電信局と横浜裁判所東角の電信局との間にはじめて一般公衆用の電信が交わされるようになったり,教会やミッション・スクール等が開設されたり,また近くには外国人専用の築地ホテル館(1868完成,72焼失)ができるなど,居留地周辺は独特の開化風俗がただよい,錦絵の題材ともなった。居留地廃止の翌1900年には,それまであった築地病院が宣教師によって整備され,聖路加国際病院が創立されるなど,のちのちまで旧居留地の異国情緒は濃厚に残されていた。…

【電気通信】より

…電気通信の歴史はこのような電気磁気学の基礎が築かれつつある時代にすでに開始されている。例えば電信機は1829年にロシアのシリングP.L.B.Schilling(1786~1837)により実現されており,静止画像を伝送するファクシミリの原形は43年にイギリスのベインAlexander Bain(1810‐77)が発明し,基礎的な実験も行われていた。電話についてはその原理を54年にベルギーのブールサールCharles Bourseul(1829‐1912)が提案し,61年にはドイツのライスJohann Phillip Reis(1834‐74)が実験を行っている。…

※「電信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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