御器屋町(読み)ごきやちよう

日本歴史地名大系 「御器屋町」の解説

御器屋町
ごきやちよう

下京区大宮通七条上ル

南北に通る大宮おおみや(旧大宮大路)を挟む両側町。町の南寄りを東西に七条通(旧七条大路)が通る。

平安京の条坊では左京七条一坊三保一三町東側・同二坊二保四町西側・左京八条一坊四保一六町東北隅及び同二坊一保一町西側、平安中期以降は七条大宮大路の地。平安京の官営市場である東市ひがしのいちの外町があった(拾芥抄)

寛永一八年(一六四一)以前平安城町並図では「大宮尻」、寛永以後万治以前京都全図には「大宮三丁目」、寛文後期洛中洛外之絵図は「寺内・くらやしき」、元禄末期洛中絵図以降は「橋詰丁四丁目」とみえるが、西本願寺境内町並図では「御器屋町」と記され、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」にも七条下ルに「御器屋町」とある。

御器屋町
ごきやちよう

[現在地名]静岡市西草深町にしくさぶかちようみや崎町さきちよう

駿府城の北、城下横筋(横町)第一一行の両側町。西は宮ヶ崎町の通りと交差し、東はやや筋違いで草深町に続く(以上、町方絵図)。慶長一六年(一六一一)と推定される亥年一〇月一六日の彦坂光正手形写(修訂駿河国新風土記)に「仍御しろあさき(浅木)ごき(御器)きじ(木地)、まいねんのごとくひき候て、くさぶかごきや衆へ相渡し候」とみえ、当町は駿府城御用の木地師が集住する町であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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