御沓村(読み)みくつむら

日本歴史地名大系 「御沓村」の解説

御沓村
みくつむら

[現在地名]院内町御沓

恵良えら川中流域、院内盆地の中部に位置し、高並たかなみ川が恵良川に合流する。北は櫛野くしの村、東は二日市ふつかいち村。建武元年(一三三四)一二月二二日の雑訴決断所牒案(大友文書)に「狭間大炊四郎入道正供申、当国御沓村地頭職泰家法師跡事」とみえ、建武新政府の牒によって当村は狭間正供が地頭とされた。鎌倉時代末期は得宗頼であった。同二年二月二九日に少弐頼尚施行状案(同文書)が深見新五郎と如法寺六郎にそれぞれ下され、その実施が命ぜられている。それによると、狭間正供は地頭職を継ぐことを訴え、建武元年一一月二五日に綸旨が下され、同年一二月二二日に雑訴決断所の牒が豊前国衙に下されたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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