日本歴史地名大系 「御着城跡」の解説 御着城跡ごちやくじようあと 兵庫県:姫路市旧飾磨郡地区御着村御着城跡[現在地名]姫路市御国野町御着山陽道沿いの微高地上に築かれた中世の平山城跡。微高地の西から南側を天(あま)川が流れ、城域を区画する。近世の史料では天川(あまかわ)城(赤松家播備作城記)・茶臼山(ちやうすやま)ノ城(播磨鑑)ともよばれる。現在、城跡の中央を国道二号が東西に通り、中心部は姫路市東出張所となっている。永正一六年(一五一九)に小寺政隆が築城したとされる。ただし明応四年(一四九五)に御着納所が蔭山(かげやま)庄多田(ただ)・山田(やまだ)両村に対する守護の段銭徴収に当たったことが確認され(同年一二月六日「蔭山庄多田・山田村名主等申状案」九条家文書)、それを命じた奉行人のなかに小寺則職がいることから(同年一二月一日「播磨国守護赤松氏奉行人書下案」同文書)、この頃には城がすでに存在し、小寺氏が城にかかわっていた可能性が高い。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by