御着村(読み)ごちやくむら

日本歴史地名大系 「御着村」の解説

御着村
ごちやくむら

[現在地名]姫路市御国野町御着みくにのちようごちやく御国野町西御着みくにのちようにしごちやく

飾東しきとう郡に所属。南流するあま川の中流に位置し、北は国分寺こくぶんじ村など。山陽道が東西に走る。中世には御着宿があり、同末期に平山城の御着城が天川外堀として小丘茶臼ちやうす山に築かれた。「太平記」巻二一(塩冶判官讒死事)によると、暦応四年(一三四一)高師直の讒言によって京都を出奔した塩冶高貞は、山陽道で本国出雲へ落ちるのは困難とみて、「御著宿ヨリ道ヲ替テ」いる。明応四年(一四九五)には播磨守護赤松氏の御着納所の納所衆が蔭山かげやま多田ただ山田やまだ両村に対して守護の段銭・諸公事などの納入をめぐる譴責を行ったため、名主らが逃散によって譴責の停止を訴えている(同年一二月六日「蔭山庄多田・山田村名主等申状案」九条家文書など)。永正一五年(一五一八)一一月七日の新右衛門尉売場売券(芥田文書)に「御着西市」がみえ、毎月四日・一四日・二四日に市が開かれていた。

慶長国絵図に「五ちやく村」とみえる。江戸時代を通して姫路藩領。正保郷帳では田方一千二六石余・畠方六〇石余、ほかに天神社領三石がある。貞享元年(一六八四)までに南西上鈴かみすず村を分村し、元禄郷帳では高八二三石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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