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蜂須賀正勝 はちすかまさかつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

蜂須賀正勝
はちすかまさかつ

[生]大永6(1526).尾張
[没]天正14(1586).5.22. 大坂
安土桃山時代の武将。正利の子。幼名,鶴松,小六,長じて利政,さらに正勝と名のり,彦右衛門尉と称した。初め斎藤道三 (どうさん) に仕え,のち織田氏に従った。織田信長の尾張平定後,永禄9 (1566) 年の美濃攻めには,豊臣秀吉に従って墨俣 (すのまた) 築城に成功。姉川の戦い,近江小谷の浅井攻めののち,天正1 (73) 年秀吉が長浜城主となるや,その筆頭家老となった。中国征伐にも従軍し,同9年には竜野5万 3000石を領した。同 13年四国平定ののち,秀吉は阿波一国を与えようとしたが辞退し,子家政がこれを受けた。常に秀吉の側近にあってこれを補佐し,その天下統一の一翼をになった。

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百科事典マイペディアの解説

蜂須賀正勝【はちすかまさかつ】

蜂須賀小六

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

蜂須賀正勝 はちすか-まさかつ

1526-1586 戦国-織豊時代の武将。
大永(たいえい)6年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)海東郡の土豪蜂須賀正利の子。斎藤道三,織田信長につかえ,のち羽柴(豊臣)秀吉にしたがって戦功をたて播磨(はりま)竜野城主となる。天正(てんしょう)13年秀吉の四国攻めの際の軍功により阿波(あわ)一国をあたえられたが,長男家政にゆずった。天正14年5月22日死去。61歳。通称は小六,のち彦右衛門尉。

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朝日日本歴史人物事典の解説

蜂須賀正勝

没年:天正14.5.22(1586.7.8)
生年:大永6(1526)
戦国・安土桃山時代の武将。尾張国海東郡蜂須賀村(愛知県美和町)の土豪蜂須賀正利の子。通称の小六の名で親しまれている。彦右衛門尉とも称した。濃尾国境付近の土豪として蜂須賀党を率い,たびたび主君を代え,はじめは美濃の斎藤道三に仕え,次いで尾張岩倉城の織田信賢,犬山城の織田信清に属したこともあったが,最終的には織田信長に従うことになった。信長に属すきっかけとなったのが豊臣秀吉の働きかけで,やがて秀吉の直臣となった。『絵本太閤記』その他の江戸時代の俗書に正勝を野伏の棟梁のごとく描いているが,それは誤り。秀吉に仕えてのち,永禄10(1567)年の稲葉山城攻め,元亀1(1570)年の越前金崎城よりの撤退に際して,殿軍をつとめた秀吉軍のなかでも特に奮戦し,同年6月の姉川の戦ののち,秀吉が小谷城の付け城である近江横山城をまかされると,その在番となった。天正1(1573)年,浅井氏の滅亡後,秀吉から近江長浜の内において所領を与えられている。以後,各地の一向一揆との戦いに参陣し,同5年からはじまる秀吉の本格的な播磨攻略に従い,三木城の別所長治を滅ぼしたあと,その功によって播磨竜野城主となった。同10年の備中高松城攻めのときには水攻めのための築堤惣奉行となり,また黒田孝高と共に開城の説得に当たった。同13年の四国攻め後,阿波一国を与えられたが辞し,子家政が拝領した。

(小和田哲男)

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世界大百科事典 第2版の解説

はちすかまさかつ【蜂須賀正勝】

1526‐86(大永6‐天正14)
戦国期の武将。小六,彦右衛門尉と称する。尾張蜂須賀村(現,愛知県海部郡美和町)の土豪の子として出生。はじめ斎藤道三に仕え,のち岩倉城主織田信賢に従い,転じて犬山城主織田信清に属した。墨俣築塁のとき木下(豊臣)秀吉に付属したと伝える。1573年(天正1)秀吉から近江長浜で所領を与えられ,81年播磨竜野城主となる。秀吉の謀臣として山崎の戦,賤ヶ岳の戦,小牧・長久手の戦,四国征伐に従軍し,毛利氏との講和条件による領地境界決定で活躍した。

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大辞林 第三版の解説

はちすかまさかつ【蜂須賀正勝】

1526~1586) 安土桃山時代の武将。尾張の土豪。幼名、小六。のち彦右衛門尉。豊臣秀吉の臣。美濃墨俣すのまた城の築塁、越前・近江征討、中国・四国攻略などで戦功を重ねた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

蜂須賀正勝
はちすかまさかつ
(1526―1586)

安土(あづち)桃山時代の武将。源氏を姓とし小六(ころく)を称した。尾張(おわり)国海東郡蜂須賀村(愛知県あま市)を領して蜂須賀氏を名のり、初め斎藤道三(どうさん)の被官となる。桶狭間(おけはざま)の戦いに織田信長を助け、のち羽柴(はしば)秀吉に従って姉川(あねがわ)の合戦、毛利(もうり)征伐に参陣して戦功をたて、1581年(天正9)に播州龍野(ばんしゅうたつの)5万3000石の大名となったが、領国経営は嫡子家政(いえまさ)にゆだね、正勝は大坂にあって秀吉に従った。1585年の四国征伐では、家政とともに従軍して一宮(いちのみや)城や脇(わき)城の攻略に戦功をあげ、その功によって阿波(あわ)18万石が与えられたが、高齢と秀吉の下を離れがたいという理由から家政を入封させることを願い出て許され、征伐後に稲田、細山、牛田らの老臣に若い家政の補佐を託して大坂に帰った。その年に従(じゅ)五位下(げ)、修理太夫(しゅりのだいぶ)に叙任されたが、翌年5月2日に大坂の玉造(たまつくり)邸で没し、福聚寺(ふくじゅじ)殿良岩浄張大居士の法名と従四位下修理亮(しゅりのすけ)が追贈された。家政は父の菩提(ぼだい)のため城内に福聚寺を建立し、義兄東嶽(とうがく)が開基した。[三好昭一郎]

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