日本歴史地名大系 「徳丸四ッ葉村」の解説 徳丸四ッ葉村とくまるよつばむら 東京都:板橋区徳丸四ッ葉村[現在地名]板橋区徳丸(とくまる)四丁目・同八丁目・四葉(よつば)一―二丁目・高島平(たかしまだいら)三―四丁目・同八丁目・新河岸(しんがし)二丁目・赤塚(あかつか)一丁目・赤塚新町(あかつかしんまち)一丁目荒川の右岸、武蔵野台地の北縁に位置し、東は徳丸本村。四ッ葉村ともみえる。中世には赤塚郷に含まれ、北条氏所領役帳にみえる「赤塚六ケ村」の内の一村と考えられる。当村の鎮守であった稲荷社(現稲荷神社)は棟札銘から元亀三年(一五七二)に建立されたという。慶長三年(一五九八)の徳丸村検地帳(安井家文書)では名請人に「四ツば」と冠された人物がみえ、当時四ッ葉が徳丸村のなかで一定の村落共同体として認知されていたことがわかる。江戸期に入っての徳丸村からの分村の経緯は徳丸本村と同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報