日本歴史地名大系 「徳丸村」の解説
徳丸村
とくまるむら
西は
天正八年(一五八〇)長連竜領となり、文禄二年(一五九三)の鹿島半郡高帳に村名がみえ、高八五石余。寛永五年(一六二八)の上野組半郡人別帳(戸部文書)には家数一八のうち百姓分四・侍下人並被官五・紺屋一・町人四・請田浪人四、牛馬一〇とあり、小規模な在郷町を形成している。寛文一一年(一六七一)の鹿島半郡高免付帳(長文書)によると高一六三石、免六ツ二歩五厘。同年加賀藩直轄領となり、延宝七年(一六七九)の村御印では高一八九石、免五ツ一歩、小物成として山役七匁・油役一一匁・苦竹役一匁・鳥役一匁(三箇国高物成帳)。
徳丸村
とくまるむら
徳丸村
とくまるむら
徳丸村
とくまるむら
徳丸村
とくまるむら
徳丸村
とくまるむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報