徳川 義寛
トクガワ ヨシヒロ
昭和期の宮内官僚 元・宮内庁侍従長。
- 生年
- 明治39(1906)年11月7日
- 没年
- 平成8(1996)年2月2日
- 出生地
- 東京・牛込
- 学歴〔年〕
- 東京帝大文学部美学美術史学科〔昭和5年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲二等旭日重光章〔昭和52年〕
- 経歴
- 尾張藩主の一門で、旧男爵家の長男。ドイツ・ベルリン大学哲学科に3年間留学。帰国後帝室博物館研究員を経て、昭和11年侍従となる。44年侍従次長、60年10月侍従長に就任し、63年4月退官。終戦前夜近衛師団の反乱にあい、脅されながらも昭和天皇の玉音放送の録音盤と木戸幸一を守った話は著名。平成11年終戦前後の天皇や宮中の動きを分刻みで記録した日記が「徳川義寛終戦日記」として出版される。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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徳川義寛 とくがわ-よしひろ
1906-1996 昭和時代の官僚。
明治39年11月7日生まれ。ベルリン大で西洋美術をまなび,帝室博物館研究員となる。昭和11年から昭和天皇の侍従をつとめ,60-63年侍従長。20年の終戦前夜,徹底抗戦をさけんで皇居に乱入した反乱将校から,終戦をつげる天皇の「玉音放送」の録音盤をまもりとおした。平成8年2月2日死去。89歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「独墺の美術史家」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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徳川 義寛 (とくがわ よしひろ)
生年月日:1906年11月7日
昭和時代の官僚。宮内庁侍従長
1996年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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