ハラタマ(その他表記)Koenraad Wolter Gratama

デジタル大辞泉 「ハラタマ」の意味・読み・例文・類語

ハラタマ(Koenraad Wouter Gratama)

[1831~1888]オランダ化学者・医学者。1866年(慶応2)招かれて来日し、長崎養生所付属の分析窮理所、江戸開成所、大阪舎密せいみ局で組織的に近代化学を教えた。1871年(明治4)帰国

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改訂新版 世界大百科事典 「ハラタマ」の意味・わかりやすい解説

ハラタマ
Koenraad Wolter Gratama
生没年:1831-88

オランダの化学者。英語風にガラタマともいう。陸軍軍医。ユトレヒト大学で化学,医学を学び,幕府に招かれて来日。最初の理化学外人教師として,1866年(慶応2)長崎の精得館分析窮理所で教え,次いで67年幕命により,江戸の開成所教授となるが,ほどなく幕府が瓦解し,開成所が廃止され,ハラタマが本国から取り寄せた化学実験器具など182箱が,開成所内の土蔵に未開封のまま残った。明治新政府は,開成所の理化教場の設備を大坂に移し,68年(明治1)大坂舎密(せいみ)局を設立,ハラタマはその教頭に任ぜられ,翌年5月1日の開講式に,公開講義を行って,物理,化学の概要を歴史的に述べた。開講式の模様と講義内容は《舎密局開講之説》(半紙判,本文68帳,序説・凡例3帳,助教三崎嘯輔訳)として,大坂舎密局から同年出版された。大坂舎密局は,70年10月には兵庫県の洋学校と併合され大坂理学所,次いで同月24日には大坂開成学校と改称され,ハラタマも辞任し(後任はドイツ人ヘルマン・リッテル),翌71年帰国した。ライデンへ持ち帰った資料はライデン民族学博物館に保管されている。著述としてほかに《理化新説》(三崎嘯輔訳,1868),《金銀精方》(大坂開成学校訳,1872)などがある。大坂舎密局伝習生としてハラタマに学んだ明石博高(ひろあきら)(1839-1910)は,後に京都舎密局を設立した。
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朝日日本歴史人物事典 「ハラタマ」の解説

ハラタマ

没年:1888.1.19(1888.1.19)
生年:1831.4.25
幕末に来日したオランダ人化学者,陸軍軍医。日本の理化学教育の創始に貢献した。オランダのアッセンに生まれ,ユトレヒト大学を卒業し,自然科学と医学の学位を得た。慶応1(1865)年長崎養生所が精得館と改称,さらにそこから分析究理所が独立した際,その専任教師として慶応2年2月に来日した。同所では実験を取り入れた理化学教育を行い,その後江戸幕府の開成所に迎えられたが,維新期の混乱のため講義をなすことなく終わった。 明治新政府は明治1(1868)年大阪に舎密局を設けて理化教育を行うことにし,ハラタマを派遣して開校準備に当たらせた。2年5月その開講式が行われ,「舎密局開講之説」(『明治文化全集』27巻所収)と題する講演をした。同局においてオランダから届いた実験器具や薬品を用いた実験を指導し,その講義録『金銀精分』『理化新説』『試薬用法』などが訳出して出版された。しかし,当時の日本人学生のオランダ語学力や科学基礎知識の不足もあって,十分な成果をあげることなく,3年12月大阪を発って帰国した。代わってドイツ人リッテルがその後任となり,英語による講義をした。大阪舎密局はその後理学所,大阪開成所などと名称を変えつつ,のちの第三高等学校(京大)へと引き継がれた。<参考文献>芝哲夫「ハラタマと日本の化学」(『化学史研究』18号),岩田高明「大坂舎密局の消長」(井上久雄編『明治維新教育史』)

(三好信浩)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

化学辞典 第2版 「ハラタマ」の解説

ハラタマ
ハラタマ
Gratama, Koenraad Wolter

幕末に招へいされ,日本人にはじめて化学実験を指導し,化学教育の指針を示し実践したオランダ人軍医・理化学者.1851年ユトレヒト陸軍軍医学校を卒業後,1853~1865年母校教官となり,物理学,化学,医学などを教えながら研究し,ユトレヒト大学で哲学(自然科学)博士号と医学博士号を取得した.1866年長崎に来日.長崎の分析研究所で,医学教育の基礎の化学教育に化学分析器具を用いて,日本ではじめて実験を指導した.幕府が崩壊して明治政府となり,1869年大阪舎密局が開設された際,物理学,化学の教師,教頭として着任.科学技術分野での化学知識の適用と実験の重要性を説き,理化学と化学分析の講義(三崎嘯輔(1847~1873年,日本化学教育の先駆者)の通訳)をし,日本の化学教育の始動に足跡を遺した(「舎密局開講之説」,講義録「理化新説」(1869年),「金銀精分」(1872年)が刊行された).1871年オランダに帰国.軍医の指導者となり,ハーグ陸軍病院長を歴任した.

出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ハラタマ」の解説

ハラタマ Gratama, Koenraad Wouter

1831-1888 オランダの化学者。
1831年4月25日生まれ。慶応2年(1866)来日し,長崎の精得館分析究理所で物理学と化学をおしえた。明治元年大阪舎密(セイミ)局の教頭となり,その開講講演は「舎密局開講之説」として刊行された。4年帰国。1888年1月19日死去。56歳。ユトレヒト大卒。著作に「理化新説」など。

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367日誕生日大事典 「ハラタマ」の解説

ハラタマ

生年月日:1831年4月25日
オランダの化学者,陸軍軍医
1888年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハラタマの言及

【バラタ族】より

…叙事詩《マハーバーラタ》は,この王の子孫であるクル族内部の紛争をテーマとしたもの。バラタ王あるいはバラタ族の名にちなみ,古代からインド亜大陸はバーラタバルシャ(バラタの領土)と呼ばれてきた。【山崎 元一】。…

【ヒンドゥー教】より

…大地はメール山(須弥山)を中心とする円盤であり,七つの大陸と七つの海をもつ。真中に神々が住むメール山がそびえ立つ大陸がジャンブ・ドビーパと称され,その重要部分がバーラタバルシャ,すなわちインドである。この宇宙は梵天の1日の間,すなわち,カルパ(,地上の43億2000万年)の間持続し,1日が終われば再び宇宙は梵天に帰入する。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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