オランダの化学者。英語風にガラタマともいう。陸軍軍医。ユトレヒト大学で化学,医学を学び,幕府に招かれて来日。最初の理化学外人教師として,1866年(慶応2)長崎の精得館分析窮理所で教え,次いで67年幕命により,江戸の開成所教授となるが,ほどなく幕府が瓦解し,開成所が廃止され,ハラタマが本国から取り寄せた化学実験器具など182箱が,開成所内の土蔵に未開封のまま残った。明治新政府は,開成所の理化教場の設備を大坂に移し,68年(明治1)大坂舎密(せいみ)局を設立,ハラタマはその教頭に任ぜられ,翌年5月1日の開講式に,公開講義を行って,物理,化学の概要を歴史的に述べた。開講式の模様と講義内容は《舎密局開講之説》(半紙判,本文68帳,序説・凡例3帳,助教三崎嘯輔訳)として,大坂舎密局から同年出版された。大坂舎密局は,70年10月には兵庫県の洋学校と併合され大坂理学所,次いで同月24日には大坂開成学校と改称され,ハラタマも辞任し(後任はドイツ人ヘルマン・リッテル),翌71年帰国した。ライデンへ持ち帰った資料はライデン民族学博物館に保管されている。著述としてほかに《理化新説》(三崎嘯輔訳,1868),《金銀精方》(大坂開成学校訳,1872)などがある。大坂舎密局伝習生としてハラタマに学んだ明石博高(ひろあきら)(1839-1910)は,後に京都舎密局を設立した。
執筆者:道家 達将
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(三好信浩)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
幕末に招へいされ,日本人にはじめて化学実験を指導し,化学教育の指針を示し実践したオランダ人軍医・理化学者.1851年ユトレヒト陸軍軍医学校を卒業後,1853~1865年母校教官となり,物理学,化学,医学などを教えながら研究し,ユトレヒト大学で哲学(自然科学)博士号と医学博士号を取得した.1866年長崎に来日.長崎の分析研究所で,医学教育の基礎の化学教育に化学分析器具を用いて,日本ではじめて実験を指導した.幕府が崩壊して明治政府となり,1869年大阪舎密局が開設された際,物理学,化学の教師,教頭として着任.科学技術分野での化学知識の適用と実験の重要性を説き,理化学と化学分析の講義(三崎嘯輔(1847~1873年,日本化学教育の先駆者)の通訳)をし,日本の化学教育の始動に足跡を遺した(「舎密局開講之説」,講義録「理化新説」(1869年),「金銀精分」(1872年)が刊行された).1871年オランダに帰国.軍医の指導者となり,ハーグ陸軍病院長を歴任した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…叙事詩《マハーバーラタ》は,この王の子孫であるクル族内部の紛争をテーマとしたもの。バラタ王あるいはバラタ族の名にちなみ,古代からインド亜大陸はバーラタバルシャ(バラタの領土)と呼ばれてきた。【山崎 元一】。…
…大地はメール山(須弥山)を中心とする円盤であり,七つの大陸と七つの海をもつ。真中に神々が住むメール山がそびえ立つ大陸がジャンブ・ドビーパと称され,その重要部分がバーラタバルシャ,すなわちインドである。この宇宙は梵天の1日の間,すなわち,カルパ(劫,地上の43億2000万年)の間持続し,1日が終われば再び宇宙は梵天に帰入する。…
※「ハラタマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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