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外人部隊 がいじんぶたいLégion étrangère

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

外人部隊
がいじんぶたい
Légion étrangère

兵役につくため契約によりフランスに雇われた外国人から成る部隊。 1831年にルイ・フィリップによってアフリカ植民地の反乱を鎮圧するため創設され,アルジェリアに司令部をおいた。外人部隊の将校はほとんど全員がフランス人であり,外国人の志願兵は5年間つとめればフランス国籍を取得することができる。入隊すると隊員はフランスにではなく,部隊に忠誠を誓う。部隊のモットーはラテン語で"Legio Patria Nostra" (われらの部隊こそ祖国) である。 1961年アルジェリアのフランス軍が本国に対して反乱したときに加担したかどで,1個連隊が解散された。 62年アルジェリアが独立すると,初めて司令部がフランス本国に移ったが,それまでは戦時を除いて,フランス本国に入ることを禁じられてきた。創設以来,部隊はスペイン,イタリア,クリミア,メキシコ,ダオメ,モロッコ,シリア,インドシナ,チャド,コンゴ,ベイルート,ペルシア湾を転戦し,多くの武勲を立てた。部隊に志願する者は前歴を問われることがないのでロマン化され,多くの小説や映画の題材となっている。現在の1任期はかつての5年から3年になっている。

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デジタル大辞泉の解説

がいじん‐ぶたい〔グワイジン‐〕【外人部隊】

外国人の志願者で編制した傭兵(ようへい)部隊。

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百科事典マイペディアの解説

外人部隊【がいじんぶたい】

外国人の傭兵(ようへい)部隊。中世のヨーロッパ各国にすでに存在したが,近代ではアルジェリア戦争などに参加したフランスの外人部隊(1831年創設)が有名で,主として北アフリカ植民地に配置された。

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世界大百科事典 第2版の解説

がいじんぶたい【外人部隊】

外国人を雇って編成した軍隊をいい,傭兵の一形態である。近代国家の軍隊が,祖国への忠誠心や愛国心を基調とする徴兵または志願兵制国民軍であるのに対し,外人部隊は金銭的報酬を条件に,契約によって戦闘を義務づけた傭兵で編成された武装集団であって,主として植民地の治安維持などの任務に使われ,国家防衛の中核的役割を担うことは少ない。外人部隊の起源は古代ギリシアの傭兵軍に求めることができ,15世紀ころからフランスで外国人傭兵が大規模に活用され始め,ナポレオンのエジプト遠征時には,全ヨーロッパから外国人傭兵が募集された。

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大辞林 第三版の解説

がいじんぶたい【外人部隊】

外国人の傭兵によって編制した部隊。一九世紀以降アルジェリアに駐屯した、フランスの部隊が知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

外人部隊
がいじんぶたい
Lgion trangreフランス語

正規軍のほかに、その国の国籍をもたない外国人志願兵で編成された部隊をさし、傭兵(ようへい)の一形態である。19世紀以降のフランス植民地で先住民の反乱鎮圧に用いられた外人部隊がもっとも有名である。フランスは1830年アルジェリアに軍隊を派遣して植民地化を開始したが、先住民の激しい抵抗を武力鎮圧するため、1831年、国王ルイ・フィリップの命により外人部隊が創設された。
 外人部隊は1834年のアルジェリア併合以降、同地の治安維持にあたり、1843年アルジェリア西部のシディ・ベル・アベスに本部が置かれ、1847年には民族運動指導者アブデル・カーデルの対仏抵抗運動を鎮圧した。海外出兵としては、1835年にスペイン女王イサベル2世のもとに派遣されて王位継承内乱に利用されたり、クリミア戦争(1853~56)やナポレオン3世によるメキシコのマクシミリアン皇帝派支援(1861~67)に派遣されたりした。しかし外人部隊が全盛期を迎えるのは1881年のチュニジア、1912年のモロッコの保護領(国)化のころで、1883年にはアルジェリア南西部のサイダにも拠点が増設され、1884年の法律によってその規則が整備された。創設時、スイス人を中心にドイツ人、スペイン人、イタリア人、ベルギー人、オランダ人、ポーランド人から構成された部隊の兵力は1000人弱であったが、アルジェリア征服が進んだ1870年代以降、兵力は6000~7000人に拡大した。第一次世界大戦には4万5000人の外国人が志願兵として編入されたが、高い死傷率のため兵力拡大にはつながらなかった。戦後の在隊者の出身国はドイツ、イタリア、ロシア、スイス、ギリシアが多く、その後も1925年のモロッコのリフ戦争、1930年のフランス領インドシナ(現ベトナム)のイェン・バイ蜂起(ほうき)にも鎮圧のため派遣され、以後インドシナにおける植民地政策強化のための主要な手段となった。
 第二次世界大戦後、植民地の相次ぐ独立戦争のなかで、外人部隊は派遣正規軍とともに戦闘に投入され、その兵力は数万にも上ったが、第一次インドシナ戦争(1945~54)では、ホー・チ・ミンの率いるベトナム軍に敗れ、またアルジェリア独立戦争(1954~62)でも、投入された外人部隊はアルジェリア民族解放戦線(FLN)勢力に勝つことはできなかった。1961年アルジェの外人部隊落下傘連隊を中心に起こった反ドゴール反乱は失敗に終わり、これを機にフランス国内では外人部隊解散の動きもみられた。しかしドゴールはこれを解散せず、その機能を改編し、落下傘部隊と機械化部隊として存続させた。
 1962年のアルジェリア独立とともに外人部隊の植民地での歴史は幕を閉じ、本部はマルセイユ近郊のオーバーニュに移された。以後、外人部隊はフランス本国にも駐屯できる完全なフランス陸軍部隊となった。その後の派兵は、1978年のザイール紛争での白人救出作戦、1982年のPLO(パレスチナ解放機構)のレバノン撤退時における国連監視軍第一陣ベイルート派遣、1990年の湾岸戦争への派遣などである。
 外人部隊志願者は、厳格な訓練と軍紀に耐えられる17歳から40歳までの男子であれば、国籍も過去も問わず採用され(重犯罪を犯した者を除く)、契約年限5年(1982年からは3年)を満了して退役すると、フランス国籍を取得することもできる。2005年現在、兵力8000人で、フランスの国内外に10個連隊を配置している。1980年代以降、日本人志願兵の数が増え続けており、退役した元日本兵の手記なども出版されている。また、冷戦が終結した1990年代以降には、旧ソ連諸国や東ヨーロッパからの志願兵も増えている。1831年以来の歴史をもつ外人部隊は、時代とともに大きな変貌(へんぼう)を遂げつつ存続している。
 なお、傭兵は古代ローマ帝国、ビザンツ(ビザンティン)帝国、アラブ帝国、中世封建時代、さらに冷戦後の現代世界の地域紛争にも現れるなど、歴史的にも広範囲にわたる兵隊をさすが、外人部隊は近代以降の帝国主義諸国が、おもに植民地の治安維持・反乱鎮圧に用いた補助部隊として発展した点に特徴があるといえよう。[小山田紀子]
『柘植久慶著『フランス外人部隊――祖国を捨てた男たち』(1986・原書房) ▽小日向健著『わが青春の外人部隊』(1996・創樹社)』

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