日本歴史地名大系 「徳村」の解説 徳村とくむら 静岡県:榛原郡相良町徳村[現在地名]相良町大沢(おおさわ)園(その)村の北東に位置し、萩間(はぎま)川右岸に立地する。北は堀之内(ほりのうち)村。文禄二年検地高目録に村名がみえ、高一九三石余。文禄四年(一五九五)当村芝原の内に新(しん)町が町割され、慶長一〇年(一六〇五)には前浜(まえばま)・市場(いちんば)両町が町割された。正保二年(一六四五)には当村内から徳村下村が分村、福岡(ふくおか)町と称し、のち前述の三町とともに相良城下四町となる(相良史)。正保郷帳では田方一〇六石余・畑方六七石余、ほかに泉岩(せんがん)庵領一石五斗・寿子明神領一石・心月(しんげつ)庵領一石五斗・拾二所社(現十二神社)領三斗余・寿子権現領六斗余がある。江戸時代の領主の変遷は波津(はづ)村と同じ。 徳村あつしよむら 鹿児島県:大島郡龍郷町徳村[現在地名]龍郷町芦徳(あしとく)現龍郷町の東部、笠利(かさり)湾に突き出た半島の北部にあり、東に長浜(ながはま)、西に宇天(うてん)、南に里(さと)などの集落がある。笠利(かさん)間切赤木名(はつきな)方のうちで、アショウなどともいう。正保琉球国絵図に村名の記載はないが、北の岬辺りに「いまてく崎」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by