心斎橋筋の
心斎橋は町橋で、架設費・修理費ともに関係町々が負担した。享保九年(一七二四)の修理および元文四年(一七三九)の架直しのときの費用負担は、総経費の半分を橋本町の二町で負担し、残りを心斎橋筋の各町で橋から遠くなるほど一割ずつ減額して負担した。費用負担をした町は、北は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…大阪市南区にある街路で,大阪を代表する都心商店街。御堂(みどう)筋のすぐ東側を北の心斎橋から南の戎(えびす)橋まで南北約700mの間に,大丸,そごうのデパートをはじめ,呉服,紳士服,洋品雑貨,時計・貴金属,美術工芸などの専門店が並び,最近は若者相手の店舗も増加している。17世紀後半,船場と島之内との間を流れる長堀川に心斎橋が架設され,北の土佐堀川から心斎橋を通って南の道頓堀川に至る街路(豊臣秀吉の大坂城築城時につくられた)が橋の名にちなんで心斎橋筋と呼ばれるようになった。…
…修理工事までは橋本町だけが出金するが,皆造工事では橋本町のほかに橋掛町と称して橋筋の道路に面した町々からも出金し,余内銀(補助金)と称してさらに広範囲からも集金している。たとえば心斎橋の1739年(元文4)の皆造工事は総費用が銀15貫926匁であるが,橋本町である心斎町と長堀十丁目が総費用の半額を出銀し,橋筋にある南北20町が残りの半額を負担している。それも橋から遠ざかる1町ごとに出銀額を1割ずつ減額するという計算であり,受益者負担的な意識を示していよう。…
※「心斎橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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