忍性塔・忍公塔(読み)にんしようとう・にんこうとう

日本歴史地名大系 「忍性塔・忍公塔」の解説

忍性塔・忍公塔
にんしようとう・にんこうとう

[現在地名]鎌倉市極楽寺三丁目

極楽ごくらく寺背後の谷の奥、旧境内の西隅にあたる山腹に、忍性塔とよばれる総高三メートル五五センチの安山岩製の巨大な五輪塔が立っている。かつて奈良竹林ちくりん寺から出土した忍性舎利器記(県史二)によれば、嘉元元年(一三〇三)七月、忍性の死後、極楽寺の「西畔」で火葬に付し、遺命により遺骨は三分割して極楽寺・竹林寺および奈良額安がくあん寺に葬った旨が記される。昭和五一年(一九七六)一一月にこの塔の解体修理が行われ、地輪内部から発見された金銅製宝瓶形の忍性舎利容器にも同様の銘文が確認されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む