日本歴史地名大系 「志和八幡宮」の解説 志和八幡宮しわはちまんぐう 岩手県:紫波郡紫波町上平沢村志和八幡宮[現在地名]紫波町上平沢 八幡上平沢(かみひらさわ)の西部、滝名(たきな)川中流の左岸で馬場(ばば)の町北側に位置。祭神は誉田別命・武甕槌命で旧郷社。伝承によれば貞観四年(八六二)山城石清水(いわしみず)八幡宮を勧請したとされ(紫波郡誌)、天喜五年(一〇五七)源頼義が安倍氏との合戦で紫波郡に軍勢を進めた時、当社に奉幣立願し、安倍氏を討った後、軍勢は社前に会集拝謝し凱歌をあげたという。また「志和軍戦記」には斯波氏家来片寄吉三郎の鎮守とある。盛岡藩主南部家の崇敬厚く、慶長一二年(一六〇七)一〇月四日の南部利直知行宛行状(志和八幡宮文書)によれば、上平沢のうち禰宜手作地三七石余が寄進されており、同月二〇日付の同内容の寄進状(同文書)もある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by