志岐村(読み)しきむら

日本歴史地名大系 「志岐村」の解説

志岐村
しきむら

[現在地名]苓北町志岐・白木尾しらきお

しも島の北西端に位置する。北はたちばな湾に面し、東は仏木ぶつき坂を越えて現本渡ほんど市方面へと続く。北西に富岡とみおか半島が突出ている。村域の中心を流れる志岐川の下流域に比較的平地が広がる。早くから開けた地域で、志岐原しきはら遺跡から黒曜石縄文土器が出土し、周辺から石斧も発掘された。「和名抄」に志記しき郷がみえる。

建暦二年(一二一二)八月二二日付の関東下文案(志岐文書)によれば、元久二年(一二〇五)志岐氏の祖とされる藤原光弘は「志木浦」を含む下島北部一帯の天草六ヶ浦の地頭に補任されている。志岐氏は当地の志岐城を拠城として下島北西部を支配し、天草氏の領内本砥ほんど島への進出を画策した。乾元二年(一三〇三)一〇月一三日付の沙弥専阿景光譲状案(同文書)に「ひんこのくにあまくさ六かうらのうち、しき四かうら、ならひにさいつさはハり、をにのいけ、かまむたらにおきてハ、たいたいの御くたしふミ、そふ・しんふのてつきのゆつりをあひくして、ちやくしかけひろニゆつりわたすところなり」とあり、志岐光弘の孫景光は嫡子景弘(弘円)領地を譲り渡しているが、天草六ヶ浦のうち志岐に四つの港があったことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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