志慶真村
しじまむら
兼次村の東に位置し、北は諸喜田村。志慶真はシゲマともよんだ。集落はかつて今帰仁グスクの一角をなす志慶真門(シジマジョー)郭の南方一帯にあったと伝える。慶長一四年(一六〇九)の薩摩島津氏の琉球侵攻で同グスクが焼打ちにあった後、時期ははっきりしないが親泊村の兼久へ移動、次いで親泊村と兼次村の間の地(現在志慶真原ともいう)へ移り、さらに諸喜田村の西隣にあたる現在地へ移動した。当村が今帰仁グスクの近くから離れ、城下へ移動した理由については、今帰仁村の場合と同様、場所が良くないとされたからで(向姓具志川家家譜)、そのほかのことははっきりしない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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