日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミカン」の意味・わかりやすい解説
ミカン
みかん / 蜜柑
[学] Citrus unshiu Marcovitch
ミカン科(APG分類:ミカン科)ミカン亜科ミカン属のうちミカン区に属する柑橘(かんきつ)の総称。種々の変異があり、ウンシュウ(温州)ミカン、キシュウミカン、コウジ、ポンカン、クネンボ、タチバナ、クレメンティンなどがあり、日本では歴史的にみて古くから生活のなかに入り込んでいた種類が多い。これらのうち一般にミカンとして親しまれているのはウンシュウミカンで、日本の果樹のなかでは栽培面積、生産額ともに他の果樹を引き離している。以下、ウンシュウミカンについて述べる。
ウンシュウミカンは日本原産で、田中長三郎によると、江戸初期、中国の黄岩(こうがん)(浙江(せっこう)省)から現在の鹿児島県出水(いずみ)郡長島地方にもたらされた「早桔(そうきつ)」または「慢桔(まんきつ)」の偶発実生(みしょう)とされている(1927)。また、岡田康雄は、同じく出水郡東長島村(現、東(あずま)町)の山崎司(つかさ)宅には、当時、古老がクネンボとよぶ推定樹齢300年以上とされたミカンの古木があり、これをウンシュウミカンの原木としている(1936)。文献では1848年(嘉永1)岡村尚謙の『桂園橘譜(けいえんきつふ)』に「温州橘」の名で記されたのが初めてである。また岡村は異名として「李(り)夫人橘」をあげている。本種は、1874~1875年(明治7~8)以降ワセウンシュウをはじめとする種々の変異系が出現したことと、それらのもつ優れた特性とによって、栽培が急速に伸びたことによって一般に注目を浴びるようになった。そして、昭和初年には面積、収量ともに全柑橘類の約60%を占め、1935年(昭和10)ころには約80%以上を占めるようになった。戦後も生産は増え、1970年には84%を占めた。しかし1972年の生産過剰を機に作付面積は減少し、一方、果実消費の多様化も加わり、1993年には全柑橘類の75%に、2004年は64%減少した。
ウンシュウミカンは、今日、日本を代表する柑橘として世界に広く知れ渡っているが、外国への紹介は、シーボルトP. F. v. Sieboldによって、ウンシュウの名で初めて行われた(1830)。ついでホールG. R. Hallが苗木をアメリカに輸出した(1876)。本種の英名であるサツマ・マンダリンSatsuma mandarinの名は、当初、薩摩(さつま)国(鹿児島県)から苗木が出されたためである。一方、苗木が愛知県中島郡から出るようになり、尾張温州(おわりうんしゅう)の名でよばれるようになり、そののちまた、単にウンシュウともよばれるようになった。現在はスペイン、イスラエル、トルコ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカその他の国々に導入され、スペインでは産業的にも発展しつつある。
[飯塚宗夫 2020年10月16日]
特性
ウンシュウミカンは低木で、高さ3~4メートル、枝は下部から斜めに伸び、樹冠は開張する。実生の若木、あるいは樹勢が強い場合には刺(とげ)を生じる。葉は長さ10センチメートル、幅約5センチメートルで、葉先はとがるが、基部は広いくさび形で、葉縁には鈍い鋸歯(きょし)がある。花は5月に開き、花弁は5枚、長さ2~3センチメートル、幅約7ミリメートルで、弁先は外方に屈曲する。萼(がく)は緑色で杯(さかずき)状、径約5センチメートル。花柄は約9ミリメートル。雄しべは約25本、花糸は短く、合一性が強く、葯(やく)は黄色で小さくしなびている。雌しべは1本、花柱は花糸より長く、柱頭が突出している。胚珠(はいしゅ)は受精能力があり、自家の良花粉または他品種の良花粉がつくと受精し、有種子の果実となる。胚は多胚で、1種子当り20余に及ぶものがある。この場合1個は受精胚で母品種とは遺伝的に異なるが、他は珠心組織の発育したいわゆる珠心胚で、母品種と遺伝的に等しい。種子を播(ま)くと1粒から2本以上芽生えることがあるが、これはその種子の多胚性に基づくものである。花粉は一般に能力がなく、これがウンシュウミカンの種なし性の主因となっている。しかし、花粉粒形成時に、とくに暖かい地方や温室内での栽培では良好な花粉ができる。
果実は10~12月に熟し、柑橘類では早生(わせ)に属する。果形は扁球(へんきゅう)形で80~100グラム、果面は滑らかで、橙黄(とうこう)色、果皮は薄く、剥皮(はくひ)は容易である。瓤嚢(じょうのう)(袋)数は10~12個で、袋の厚さは早生系ほど薄い。果肉は柔軟多汁で、甘酸味が適度である。
[飯塚宗夫 2020年10月16日]
品種
ウンシュウミカンは他の多くの柑橘類同様に、果実の熟期、果色、果形、樹形、葉形、その他の形質について枝がわりが出やすく、初期には在来系として平(たいら)系、池田(いけだ)系、早生系の3系が、伊木力(いきりき)系として尾張系が分化した。その後も多くの変異を起こした系統が発見され、また珠心胚から発育した実生からも変異個体が選ばれ、その数はきわめて多い。熟期は9月下旬から12月中旬まで長期間にわたる。
今日よく栽培されるのは宮川早生(みやがわわせ)、興津早生(おきつわせ)などの早生系品種と、久能温州(くのううんしゅう)、杉山温州(すぎやまうんしゅう)、林温州(はやしうんしゅう)、南柑(なんかん)4号、青島温州(あおしまうんしゅう)、南柑20号などの普通系品種、あわせて10余品種である。その他、生産各県の特産品種も多い。
[飯塚宗夫 2020年10月16日]
栽培
ウンシュウミカンは、夏季は高温多湿で冬季は比較的低温な日本の気候風土に適し、千葉県から鹿児島県の、年平均15~18℃の地域で栽培され、16~17℃の所で良品質の果実を生産する。日当りがよく、風が当たらず、水のよい土壌でよく育ち、冬季零下3℃以下では寒害を受ける。苗木にはカラタチ(キコク)あるいはユズ台の接木(つぎき)を用いる。前者は結果年齢に早く達するが、後者より生育が劣る。植え付けは、地形にもよるが、平坦(へいたん)または緩傾斜地で、10アール当り普通系で約28~40本、早生系で40~63本である。しかし、密植して早期から収量を期待する計画密植栽培では普通系で120~160本、早生系では160~250本である。定植は春、発芽前の3月下旬から4月上旬が適期で、定植後3~4年目から30年以上も継続して収穫できる。
おもな病気には、そうか病、黒点病などがある。また、温州ミカン萎縮(いしゅく)病など、ウイルスその他による生理病も知られている。害虫にはカイガラムシ類、コナジラミ類、ダニ類、ミカンハムグリガ、アブラムシ類、アゲハ、ヤガ、ミカンセンチュウなどがある。それぞれ、殺菌剤や殺虫剤で防除、駆除するが、ダニ類に対する捕食ダニ、アシクロヒメテントウ、クサカゲロウなどの天敵を利用するのも有効である。施肥は10アール当り窒素30キログラム、リン酸は15~18キログラム、カリは約21キログラムが適当である。
収穫は宮崎、鹿児島県の早出しが8月下旬から9月下旬に、一般には10~12月に行われる。近年では貯蔵方法が進歩したため、3、4月まで保蔵してから出荷する方法も行われるようになった。貯蔵用としては、貯蔵中の減酸を考慮して、貯蔵性に富む品種であって、静岡、神奈川県など比較的冷涼地産の酸味に富む果実が用いられている。近年ビニルハウス栽培の技術が進んだため、6月に出荷することもできるようになった。鉢植え栽培は容易で、10号鉢以上なら簡単にできる。この場合の用土は赤玉土4、砂3、腐葉土3の混合が適している。ミカン類の栽培は2017年(平成29)現在、4万0600ヘクタール、果実生産量は74万トンに達し、和歌山、愛媛、熊本、静岡、長崎、佐賀などの諸県に多い。
[飯塚宗夫 2020年10月16日]
その他のミカン類
ミカン区に属し、よく知られるミカン類には、ウンシュウミカンなどのほか、地中海マンダリン、ヤツシロミカン、ケラジミカン、オオベニミカン、シィクワシャー、などがある。これらのなかでウンシュウミカンは柑橘類の交雑親として優れており、清見(トロビタオレンジとの交雑種)、タンゴール(スイートオレンジとの交雑種)、タンジェロ(グレープフルーツとの交雑種)、などを産み出している。
[飯塚宗夫 2020年10月16日]
利用
早生種の生果肉は100グラム当り139キロカロリーで、糖質10グラム、カルシウム11ミリグラム、リン12ミリグラム、カリウム130ミリグラム、カロチン60マイクログラム、A効果IUで33、ビタミンC35ミリグラムを含む。なお、糖質はショ糖、果糖が多く、甘いわりにはカロリーは比較的低い。また、酸味は有機酸類で、クエン酸を主とし、リンゴ酸、コハク酸、シュウ酸なども含まれ、糖と和し、適当なうまさとなる。カリウムは天然型のもので、体内の食塩を排除する効果があるという。これらの諸成分は袋を除いて果肉の缶詰としてもジュースとしてもそれほど変化しない。このため、生食のほか加工食品としての評価も高い。また、果皮は調味料となり、香料もとれる。加工残滓(ざんし)は飼料とされる。
[飯塚宗夫 2020年10月16日]
薬用
漢方では未熟な緑色の果実の皮を青皮(じょうひ)(最近では「せいひ」とも読む)といい、健胃、鎮痛剤として脇痛、胃痛、腹痛、消化不良、食欲不振、呑酸嘈囃(どんさんそうそう)(胃の中の酸が強く口中に逆流すること)などの治療に用いる。また、完熟して黄赤色になった果実の皮を橘皮(きっぴ)、さらに古くなった皮を陳皮(ちんぴ)といい、健胃、鎮嘔(ちんおう)、鎮咳(ちんがい)、利尿剤として、胃部の冷えによる嘔吐、げっぷ、咳嗽(がいそう)、気管支炎などの治療に用いる。中国では橘皮と陳皮をはっきり区別しているが、日本ではおもに陳皮を用いる。未熟なものほど苦味質が多く、精油が少ないので苦味性健胃剤としての性格が強くなり、小さな未熟果は枳実(きじつ)(ダイダイの未熟果)と同様な作用となる。一方、完熟した果実の皮はリモネンを主とする精油、ヘスペリジン、ビタミン類が多くなり、冷えを治し、芳香性健胃剤の性格を帯びてくる。中国では果皮の内側の白色部分を橘絡(きつらく)、葉を橘葉(きつよう)、種子を橘核(きっかく)と称して薬に用いる。果皮の濃い煎汁(せんじゅう)は魚やカニによる中毒の治療に役だつ。刺身にミカンがよく添えられるのは、こうした理由によっている。
[長沢元夫 2020年10月16日]
文化史
ミカンの名は室町時代に使われ、『尺素往来(せきそおうらい)』(15世紀後半)の庭上に植えるべき花木花草80種に蜜柑(みかん)の名がみえる。これはコミカンの類で、それ以前には柑子(かむし)あるいは甘子(かむし)とよばれ、それがなまってコウジの名も生じた。甘子は、8世紀に播磨弟兄(はりまのおとえ)が唐から持ち帰り、佐味虫麻呂(さみのむしまろ)がその種子を植えて結実させた。その功で2人は725年(神亀2)従五位下(じゅごいげ)に昇進している(『続日本紀(しょくにほんぎ)』)。そして、これ以降、九州地方から諸国に広がったとされる。『延喜式(えんぎしき)』(927)には、遠江(とおとうみ)、駿河(するが)、因幡(いなば)、阿波(あわ)より甘子が献上された記述がある。一方、『日本書紀』や『古事記』に載る田道間守(たじまもり)が求めた非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)をコミカンとする見方もある。コミカンが紀州に伝わったのは『紀州柑橘類蕃殖(きしゅうかんきつるいはんしょく)来歴』(1734)によれば、1574年(天正2)で、肥後八代(やつしろ)より有田(ありだ)にもたらされた。1634年(寛永11)には、江戸へ400籠(かご)が初出荷されて好評を得、1656年(明暦2)には5万籠、元禄(げんろく)(1688~1704)には30万籠に、1714年(正徳4)には50万籠に達し、日高屋、長島屋、紀井国(きのくに)屋などの廻船(かいせん)業者がミカン船を仕立て活躍した。
温州(うんしゅう)ミカンは、長崎、佐賀など江戸時代からの産地では、かつて中島ミカンとよばれ、シーボルトの標本にはNagashimaと名が書かれた。神田玄仙(かんだげんせん)は『本草或問(ほんぞうわくもん)』(1738)に、唐ミカン、肥後ミカン、大仲島の名のもとに「唐土より来り、始めて肥後大仲島に植える」と述べ、温州ミカンの特色をもつ図を載せた。この中島、大仲島は、現在の鹿児島県長島(出水(いずみ)郡東(あずま)町、長島町)のことと考えられている。長島は古称を仲島といい肥後国天草(あまくさ)郡に属していたが、戦国時代末期に薩摩(さつま)領となった。島内で発見された古木(まもなく枯死)からも温州ミカン発祥の地とする見解のあることは上記のとおりである。ウンシュウの名は、その優れた品質から中国のミカンの名産地、浙江(せっこう)省の温州が冠せられたもので、かならずしも原産地を意味するものではない。中国の早橘(そうきつ)か天台山橘が長島にもたらされ、そこで突然変異の種子なしが生じたのが、ウンシュウの起源と推定されている。江戸時代は「種子なし」は縁起が悪いとされていたが、後期には「上品の柑橘は核なし」(『重修本草綱目啓蒙(ほんぞうこうもくけいもう)』)と変わり、1881年(明治14)には東京神田(かんだ)青果市場への出荷が始まり、以後日本の代表的なミカンとなった。
中国では柑の名は、司馬相如(しばそうじょ)の『上林賦(じょうりんふ)』(前2世紀)に黄柑橙(おうかんとう)の名がみえ、楊雄(ようゆう)の『蜀都賦(しょくとのふ)』(前1世紀)に黄柑が載る。蜀は古くからミカン類の産地で、唐代には江南とともに都に献上している(『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』)。張華(ちょうか)は『博物志』(3世紀)に「橘柚(きつゆう)類甚だ多し」と述べ、甘の名をあげている。
[湯浅浩史 2020年10月16日]
『農山漁村文化協会編・刊『果樹園芸大百科1 カンキツ』(2002)』