志津原村(読み)しづはらむら

日本歴史地名大系 「志津原村」の解説

志津原村
しづはらむら

[現在地名]池田町志津原

足羽あすわ川の上流、河内こうち川が割谷わりたに川と合流する付近の北側の山あいにある。村名は正保郷帳にみえ、田方七七石余・畠方四二石余。「越前国名蹟考」は枝村として「南市瀬」を記す。享保六年(一七二一)の池田郷中村々明細帳の写(片山家蔵)によれば、田方四町七反余・畠方三町九反余、家数二五(本百姓一〇・水呑一五)、人数一三一(男八〇・女五一)、牛八頭。小物成は夫米・山手米・糠代・藁代・漆役・三杷木役。「北野」「わらひり平」「中山」に御立山があった。

「越前国名蹟考」は貞享二年(一六八五)の越前国絵図記を引いて「南に一瀬と云所あり池田勘觧由屋敷迹の由」とし、さらに同絵図に「大黒池 村より東南に在り長二町幅半町」とある。

志津原村
しづはらむら

[現在地名]藤橋村開田かいでん 下開田しもかいでん

揖斐川右岸、徳山とくやま村の南にある。漆原うるしはらとも書く。慶長一四年(一六〇九)検地帳(前川文書)によると上畑八反余・中畑七反余・下畑一町一反余・かみ原(楮畑)五反余など、名請人一二人となっている。物成取覚(赤座文書)によれば、寛永六年(一六二九)には定米一八石余分を銀三六七匁余で納めている。正保郷帳では志津原村とみえ、徳山重政領で、畑一九石余・山年貢四石余のほか、畑出高二九石余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android