日本歴史地名大系 「志紀長吉神社」の解説
志紀長吉神社
しきながよしじんじや
河内国志紀郡の延喜式内社に比定される。旧郷社。「延喜式」神名帳に「志紀長吉神社二座並大、月次新嘗」とある。金剛寺本「延喜式」では「シキノナガヨシ」と読むが、「神祇志料」は「シキノナカエノ」と読む。「すみよし」と読まれている「住吉」は「すみのえ」が本来の読みと考えられるから、長吉も古くは「ながえ」と読んだ可能性は大きい。「ながえ」と読めば長江と同義で、当地は宝永元年(一七〇四)の大和川付替え以前より大和川流域であり、長江は大和川の意と思われる。葛城氏の祖襲津彦は、「古事記」孝元段では長江襲津彦とよばれている。葛城氏が大和の葛城地方から河内の大和川流域に勢力を広げたので、襲津彦に長江を冠するのではないかと考えられるが、当社の祭神が長江襲津彦命と事代主命とであるのは、由緒のあることかもしれない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報