応天皇后(読み)おうてんこうごう(その他表記)Ying-tian huang-hou; Ying-t`ien huang-hou

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「応天皇后」の意味・わかりやすい解説

応天皇后
おうてんこうごう
Ying-tian huang-hou; Ying-t`ien huang-hou

[生]乾符6(879)
[没]応暦3(953)
中国,の太祖耶律阿保機 (やりつあぼき) の皇后。述律氏出身。諱は平小。字は月理朶。諡は淳欽皇后。女性ながら剛胆勇武。太祖とともにタングート (党項)を攻撃し,虚に乗じて襲ってきた室韋 (しつい) に対し,兵を統率して待受け,撃破した。名は諸夷に響き渡った。また渤海国を平定し,華北に侵入。太祖没後,国事と軍政を代行。長男の東丹王倍を退け,次男の太宗を即位させたが,太宗没後末子李胡を皇帝にと考え,すでに即位した倍の長男世宗と争ったが敗れて祖州に移され,その地で没した。

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