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耶律阿保機 やりつあぼきYe-lü A-bao-ji; Yeh-lü A-pao-chi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

耶律阿保機
やりつあぼき
Ye-lü A-bao-ji; Yeh-lü A-pao-chi

[生]咸通13(872)
[没]天顕1(926)
中国,の第1代皇帝 (在位 916~926) 。廟号太祖。諡は大聖大明神烈天皇帝。契丹の迭剌 (てつら) 部出身。勇智があり騎射に巧みで,奚 (けい) ,室韋,女真諸族を討ち,捕虜にした中国人や国内の紛乱を避けて逃入した中国人を農耕につかせ,政治に登用し次第に実力をたくわえ,ついに8部に分れていた契丹諸部を統一した。 916年皇帝を称し,神冊と建元,次いで天賛3 (924) ,同4年阻卜 (そぼく) ,タングート (党項) 吐谷渾 (とよくこん) 諸族を討ち,外モンゴル,東トルキスタン方面を押え,翌年東の渤海国を討滅して東丹国を建て,長子の耶律倍をその王にして満州を押え,帰国の途中没した。

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デジタル大辞泉の解説

やりつ‐あぼき【耶律阿保機】

[872~926]中国、遼(りょう)の初代皇帝。在位916~926。廟号(びょうごう)は太祖。末の907年、契丹八部を統一してハン位につき、のち皇帝となった。しばしば長城を越えて華北侵入西方の諸部族を征服するとともに、926年渤海国を滅ぼし、中国東北部からモンゴル高原を支配する一大帝国とした。

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百科事典マイペディアの解説

耶律阿保機【やりつあぼき】

中国,の建国者(太祖)。契丹(きったん)の迭剌部(てつらぶ)出身。諸部族を統合,916年皇帝と称し,神冊(しんさく)と建元。東西の経略をすすめ,中原征服を目ざし,突厥(とっくつ),タングート,ウイグルの諸族を親征して帝国の基礎を確立。
→関連項目太祖

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世界大百科事典 第2版の解説

やりつあぼき【耶律阿保機 Yē lǜ Ā bǎo jī】

872‐926
中国,契丹()の創設者。太祖。在位916‐926。契丹族の迭剌(てつら)部の出身。はじめ痕徳菫(こんとくきん)可汗に仕えて契丹の全軍を統率する夷离菫(いりきん)に任命され,契丹と同族に近い奚(けい)部族をしたがえ,さらに華北に侵入し,おびただしい戦利品とともに多数の中国人を捕らえ,これを契丹内地にうつした。なお,〈阿保機〉には略奪者の意味があり,彼が,外征によっておびただしい戦利獲得品をもたらしたことによってつけられた美称である,とする説もある。

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大辞林 第三版の解説

やりつあぼき【耶律阿保機】

872~926) 中国、遼りようの建国者(在位907~926)。廟号びようごうは太祖。唐末に契丹きつたん族のハン位につき、漢人を登用、916年皇帝と称した。渤海ぼつかい国を滅ぼし、中国東北部・モンゴル高原を支配した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

耶律阿保機
やりつあぼき
(872―926)

中国、遼(りょう)(契丹(きったん))国の建設者(在位916~926)。廟(びょう)号は太祖。耶律が姓、諱(いみな)は億(おく)、阿保機は字(あざな)。契丹の迭剌(てつら)部の人。901年契丹の遙輦(ようれん)部の痕徳菫(こんとくきん)が可汗(かがん)になると、阿保機は痕徳菫のもとで迭剌部の夷離菫〔(いりきん)、首長(しゅちょう)〕となり、翌902年、河東(山西省中南部)、代北(山西省北部)地方を侵略し、多数の人民を強制的に連れ帰り、シラムレン川とラオハ川の合流点付近に竜化州を設置し、ここに住まわせた。契丹族は8部からなり、8部の長から選ばれた者が交替で大君長に就任することになっていたが、阿保機は君長交替制を打破し、部内を制圧し、遙輦氏にかわって自立し、907年即位して可汗位につき、中国風に皇帝と称した(第一次即位)。ついで君主権の強化に努め、916年竜化州において大聖大明天皇帝の位についた(第二次即位)。同年7月、阿保機はタングート(党項)、吐谷渾(とよくこん)、沙陀(さだ)など諸部を親征し、また長城を越えて華北に侵入し、蔚(うつ)州(河北省蔚県)、新州〔河北省承鹿(しょうろく)県〕などを攻め、西南面招討司を(き)州(河北省懐来県)に設置した。921年阿保機自ら大軍を率い、檀〔(だん)、河北省密雲県〕、順(河北省順義県)、安遠軍〔河北省薊(けい)県付近〕などの河北の10余城を陥れ、その住民を契丹各地に移し、原住地と同名の州県を設けて住まわせ、農耕その他の生産に従事させ、契丹国の財政的基盤としている。
 924年6月から翌年9月まで堯骨(ぎょうこつ)(後の太宗)を従え西方諸部族への征服戦を行い、阿保機自ら古回鶻(かいこつ)城(オルホン川上流のハラバルガスン)を経て蒲類(ほるい)海(バルクール湖)まで遠征し、堯骨の軍はオルドスの吐谷渾部、党項部を遠征した。このようにして後顧の憂いを絶ったのち、925年12月、渤海(ぼっかい)国の遠征に出発し、926年正月、渤海国扶余(ふよ)府〔吉林(きつりん)省農安県〕を陥れ、首都忽汗(こっかん)城〔黒竜江省寧安(ねいあん)県〕を陥落させて渤海国を滅ぼし、渤海国を東丹国と改め、旧首都を天福城と改称し、皇太子の倍(ばい)を東丹国王としてこの国を統治させることとし帰国の途についた。しかしその途中、同年7月、扶余府において死亡した。阿保機は祖陵に葬られた。祖陵に奉仕する奉陵邑(ほうりょうゆう)として設置されたのが祖州で、遼の上京臨(おう)府(内モンゴル自治区巴林(はりん)左翼旗林東市)の南西約30余キロメートルのモンチョックト山の土城址(し)が祖州城址といわれる。[河内良弘]
『田村実造著『中国征服王朝の研究 上』(1964・東洋史研究会)』

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