中国、遼(りょう)(契丹(きったん))国の建設者(在位916~926)。廟(びょう)号は太祖。耶律が姓、諱(いみな)は億(おく)、阿保機は字(あざな)。契丹の迭剌(てつら)部の人。901年契丹の遙輦(ようれん)部の痕徳菫(こんとくきん)が可汗(かがん)になると、阿保機は痕徳菫のもとで迭剌部の夷離菫〔(いりきん)、首長(しゅちょう)〕となり、翌902年、河東(山西省中南部)、代北(山西省北部)地方を侵略し、多数の人民を強制的に連れ帰り、シラムレン川とラオハ川の合流点付近に竜化州を設置し、ここに住まわせた。契丹族は8部からなり、8部の長から選ばれた者が交替で大君長に就任することになっていたが、阿保機は君長交替制を打破し、部内を制圧し、遙輦氏にかわって自立し、907年即位して可汗位につき、中国風に皇帝と称した(第一次即位)。ついで君主権の強化に努め、916年竜化州において大聖大明天皇帝の位についた(第二次即位)。同年7月、阿保機はタングート(党項)、吐谷渾(とよくこん)、沙陀(さだ)など諸部を親征し、また長城を越えて華北に侵入し、蔚(うつ)州(河北省蔚県)、新州〔河北省承鹿(しょうろく)県〕などを攻め、西南面招討司を嬀(き)州(河北省懐来県)に設置した。921年阿保機自ら大軍を率い、檀〔(だん)、河北省密雲県〕、順(河北省順義県)、安遠軍〔河北省薊(けい)県付近〕などの河北の10余城を陥れ、その住民を契丹各地に移し、原住地と同名の州県を設けて住まわせ、農耕その他の生産に従事させ、契丹国の財政的基盤としている。
924年6月から翌年9月まで堯骨(ぎょうこつ)(後の太宗)を従え西方諸部族への征服戦を行い、阿保機自ら古回鶻(かいこつ)城(オルホン川上流のハラバルガスン)を経て蒲類(ほるい)海(バルクール湖)まで遠征し、堯骨の軍はオルドスの吐谷渾部、党項部を遠征した。このようにして後顧の憂いを絶ったのち、925年12月、渤海(ぼっかい)国の遠征に出発し、926年正月、渤海国扶余(ふよ)府〔吉林(きつりん)省農安県〕を陥れ、首都忽汗(こっかん)城〔黒竜江省寧安(ねいあん)県〕を陥落させて渤海国を滅ぼし、渤海国を東丹国と改め、旧首都を天福城と改称し、皇太子の倍(ばい)を東丹国王としてこの国を統治させることとし帰国の途についた。しかしその途中、同年7月、扶余府において死亡した。阿保機は祖陵に葬られた。祖陵に奉仕する奉陵邑(ほうりょうゆう)として設置されたのが祖州で、遼の上京臨潢(おう)府(内モンゴル自治区巴林(はりん)左翼旗林東市)の南西約30余キロメートルのモンチョックト山の土城址(し)が祖州城址といわれる。
[河内良弘]
『田村実造著『中国征服王朝の研究 上』(1964・東洋史研究会)』
中国,契丹(遼)の創設者。太祖。在位916-926。契丹族の迭剌(てつら)部の出身。はじめ痕徳菫(こんとくきん)可汗に仕えて契丹の全軍を統率する夷离菫(いりきん)に任命され,契丹と同族に近い奚(けい)部族をしたがえ,さらに華北に侵入し,おびただしい戦利品とともに多数の中国人を捕らえ,これを契丹内地にうつした。なお,〈阿保機〉には略奪者の意味があり,彼が,外征によっておびただしい戦利獲得品をもたらしたことによってつけられた美称である,とする説もある。彼は,しばしば捕虜として契丹に連れかえった中国人を農耕に従事させることによって,その経済的な基礎を固めるとともに,中国文化の摂取につとめたが,それらの中国人のうちから,韓延徽(かんえんき),韓知古,康黙記ら,有能なものを登用し,その協力によって実力をたくわえ,痕徳菫可汗の死後,きわめて順調にその後継者に擁立され,中国にならって皇帝を称し,神冊と建元した(916)太祖である。
阿保機は,そのころ中国が唐末五代の混乱期にあたっていたのに乗じ,中国征覇の野望をいだいた。そのためには,まず東西の諸部族を従えて後顧の憂いをなくしておくことが必要であった。彼は,突厥(とつくつ),タングート,ウイグルなどの西方諸部族を再度征服して,外モンゴルから東トルキスタンまでを制圧した。つぎに,東方に兵を動かして,中国東北地方東半を領有していた渤海(ぼつかい)国を滅ぼし,その故地を手中におさめて東丹国をたて,皇太子耶律倍にこの国の経営をゆだね,本国への凱旋の途中,扶余府(吉林省農安県)で病没し,その事業は次男徳光(太宗)によって継承されることとなる。
阿保機は,自国内に移した中国人のために,州・県を設置し,中国人に,その故郷におけると同様の生活を営ませた。これは,遊牧民である契丹人と,定着農耕の民である中国人との生活形態の相違を洞察した上での処置であり,中国人の農耕技術を活用するのに最適の方法と信じたからであった。なお契丹人に対しては従来の部族制によって統治したことはいうまでもない。この方針は遼一代を通じて変わることなく行われた。しかしそのために,契丹人と漢人との融合は行われにくく,これが遼の弱点となることを免れなかった。なお,阿保機は920年(神冊5)契丹字(大字)を創制したが,のち,その繁雑不便なことを知って,小字をつくらせて使用させた。
執筆者:外山 軍治
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872~926(在位916~926)
遼国の建設者。廟号は太祖。契丹(きったん)8部族の一つ迭剌部(てつらぶ)に生まれる。部下に登用した漢人の政治,経済,文化上の協力により実力を蓄え,契丹部族を統合し,916年中国風に神冊(しんさく)と建元し皇帝を称した。阿保機は中原征服をめざし,突厥(とっけつ),タングート,ウイグルの諸部族を親征し,渤海(ぼっかい)国を滅ぼして東丹(とうたん)国を建てたが,凱旋の途中,扶余(ふよ)府で没した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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