日本歴史地名大系 「快友寺」の解説 快友寺かいゆうじ 山口県:豊浦郡菊川町吉賀村快友寺[現在地名]菊川町大字吉賀 防迫六万坊(ろくまんぼう)山の北東麓、防迫(ぼうざこ)にあり、西山浄土宗。秋光山と号し、本尊は阿弥陀三尊。寺伝によれば大同年間(八〇六―八一〇)弘法大師が唐から帰国の時、吉賀(よしか)に錫を留めて庵を結んだと伝え、興国年間(一三四〇―四六)には現在地より約三町西南の山腹に一宇が建立されて勝善(しようぜん)院といっていたという。その後の変遷はつまびらかでないが、慶長年間(一五九六―一六一五)真空言宇の時、毛利元就の臣桂民部大輔広繁が帰依し法号を快友と与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報