念阿弥慈恩(読み)ねんあみ・じおん

朝日日本歴史人物事典 「念阿弥慈恩」の解説

念阿弥慈恩

生年生没年不詳
室町時代の剣術家。念流開祖陸奥相馬(福島県)の相馬忠重の子で,義元と称した。父が殺害されたため,乳母と武蔵国今宿(横浜市)に隠れ,7歳で相模国藤沢の遊行上人弟子になり,念阿弥を名乗った。父の仇を討つために剣法を習い,16歳のとき,鎌倉で禅僧奥山慈恩から秘伝を受け,応安1/正平23(1368)年5月に筑紫安楽寺で剣の奥義を得たという。のち父の仇を討ち,禅門に入って慈恩と改め,諸国で教え,晩年に信濃波合に長福寺を建立した。『念流正法兵法未来記』によると,念流は剣,居合,体術を備えた合戦を想定した総合武術であった。門流から中条長秀が出ている。

(藤堂良明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「念阿弥慈恩」の解説

念阿弥慈恩 ねんあみ-じおん

?-? 南北朝時代の剣術家。
陸奥(むつ)相馬(福島県)の人。念流の開祖。父の仇(あだ)を討つために剣法をならい,応安元=正平(しょうへい)23年(1368)筑紫(つくし)の安楽寺で剣の奥義をさとる。のち父の仇を討ち,信濃(しなの)(長野県)波合に長福寺をひらき念大和尚と称した。俗名は相馬義元。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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