日本歴史地名大系 「思井村」の解説 思井村おもいむら 千葉県:流山市思井村[現在地名]流山市思井・宮園(みやぞの)一―二丁目中(なか)村の南から西を占め、八木(やぎ)台地南部の台地上から南東に開ける。南は鰭(ひれ)ヶ崎(さき)村。天正一九年(一五九一)徳川家康は岡部長綱に「桐ケ谷村・八木村百石」などを与えているが、この「八木村百石」は支配と石高から、当村のうち旗本岡部領分にあたると考えられる。寛永一五年(一六三八)の村々入会申定(吉野家文書)に村名がみえ、元禄三年(一六九〇)の訴状(船橋市西図書館蔵)によると旗本松平・太田・岡部の三氏相給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報