怡土郡(読み)いとぐん

日本歴史地名大系 「怡土郡」の解説

怡土郡
いとぐん

筑前国西端の南部に位置し、北は志麻しま郡、東は早良さわら郡、南は背振せふり山地を隔てて肥前小城おぎ郡・松浦まつら郡に接し、西は玄界灘に臨む。近世の郡域はおよそ糸島いとしま二丈にじよう町、前原まえばる市の中部・南部、福岡市西区の中部、同市早良区南西端に相当する。

〔古代〕

「延喜式」民部上、「和名抄」諸本に怡土とみえ、文字の異同はない。同書の東急本・元和古活字本の訓「以止」から「いと」と読む。怡土の地名は、「魏志」東夷伝倭人条にみえる「伊都国」に由来するとされる。当郡に関する神功皇后伝承も多く、「日本書紀」仲哀天皇八年正月四日条には仲哀を「穴門の引嶋」(現山口県下関市の彦島か)に出迎えた「筑紫の伊覩県主の祖五十迹手」を、仲哀が「伊蘇志」とほめたのでその本拠地が「伊蘇国」とよばれるようになり、「伊覩」はその転訛であると記される。同様の地名起源説話は「筑前国風土記」逸文(釈日本紀)にもみえ、そこには「恪勤国」とある。「日本書紀」神功皇后摂政前紀(仲哀天皇九年九月一〇日条)によると、出産間近の神功が応神の出産を抑えるため使用したという鎮懐石が「今、伊覩県の道の辺」にあったとされ、「古事記」は所在地を「伊斗村」と記す。「万葉集」巻五によれば、石は怡土郡深江ふかえ駅家から二〇里ほど離れた路傍の丘の上にあったという。同様の伝承は「筑紫風土記」逸文、「筑前国風土記」逸文(いずれも「釈日本紀」)にも記される。郡名の初見は、平城宮跡で出土した調綿の付札木簡(平城宮木簡一)で、「筑前国怡土郡調綿壱伯屯四両養老七年」「室山」とあり、大宰府史跡不丁ふちよう地区官衙から出土した付札木簡(大宰府概報二)にも「怡土郡紫草廿根」などとある。郡家を前原市三雲みくもの小字こおりに比定する説がある。郡司に関しては、康和五年(一一〇三)三月一〇日の筑前国藤井今武田地売券(広瀬正雄氏所蔵文書/平安遺文四)に「郡司高橋」「郡司兼府老藤原」、長治二年(一一〇五)三月一〇日の府老藤原延末田地売券(同上)に「郡司高橋」がみえるが、後者で対象となった土地のうち「字曾禰田」は現前原市曾根そね、「字」は同市香力こうりきの小字夏目なつめに比定される。寛仁三年(一〇一九)四月の刀伊の入寇に際し、当郡は他の博多湾沿岸諸郡とともに被害を受けた。「日本紀略」同月一七日条には刀伊が怡土郡に来寇した旨を大宰府の飛駅使が報告したとあり、同年四月一六日の大宰府解(「朝野群載」巻二〇)によれば女真人は同月七日に怡土郡を襲い、志摩しま郡・早良郡などの人を捕らえ、民家を焼き、穀米を奪うなどの行為に及んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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