怪島城跡
けしまじようあと
怪島は別府沖約一千四〇〇メートルの海上に浮ぶ面積二・三ヘクタール、標高四二・二メートルの岩山の島。戦国時代、河野氏の将神野左馬允の居城。「河野分限録」によると怪島城は来島城(現今治市)の枝城で、神野左馬允は河野氏から侍五騎、足軽二〇人を預かっている。天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の四国征伐に際し、小早川隆景の軍勢に攻められて落城。この戦闘に軍功のあった宇野右馬允に隆景から次のごとき感状が与えられている(宇野家文書)。
<資料は省略されています>
神野左馬允は怪島落城後帰農した。別府村の庄屋神野氏(越智氏)はその子孫といわれている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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