大西町(読み)おおにしまち

日本歴史地名大系 「大西町」の解説

大西町
おおにしまち

[現在地名]池田町 マチ

吉野川の南岸に位置。池田村のうちに成立した町場で、東西に伊予街道が通り、撫養むや街道が合流する交通の要地。北は吉野川を隔てて西山にしやま村。池田町・池田大西町とも称されたが、明治七年(一八七四)池田町に定まったという(郡村誌)。当地は古くから伊予讃岐土佐との国境に近い要衝とされ、長享元年(一四八七)一〇月二八日の守護細川政之御教書写(喜多文書)によれば、祖山奉公衆が守護細川政之に「ママ西口」を守ることを命じられており、当地付近のことをさすとみられる。

慶長期(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に大西とみえる。正保国絵図には池田之内大西町とあり、伊予街道の一里塚があった。徳島城下から当町まで一六里余、脇之わきの(現脇町)まで七里二〇町余、当町から佐野さの村まで二里二四町(正保四年海陸道度帳)。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳には池田村の枝村として大西町とある。明暦四年(一六五八)の棟付帳(池田町公民館蔵)では池田町として家数七八・男二四七、高一九二石余。延宝二年(一六七四)には池田村と別に池田町の棟付帳(同館蔵)が作成され、高三一八石余、家数一〇四・男三〇一。

大西町
おおにしちよう

面積:一八・七三平方キロ

高縄たかなわ半島の北端にやや近い西側に位置する。西は菊間きくま町と接し、北は波方なみかた町に、東は今治いまばり野間のまに、南は玉川たまがわ町に接している。山系が東西に延び、平野はおおむね北部に広がりいつき灘に面している。土質は主として花崗岩で、急傾斜地帯である。重茂じゆうも(二九四・五メートル)から平坦部に至り、山林・果樹園が多く、扇形に広がる平坦部は田畑であり、海岸線中央部は工場群を形成している。町のおもな産業は柑橘栽培と畜産と造船業および繊維工業である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報